夫の承諾のない人工受精卵の移植により生まれた子の父子関係


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昨年(平成28年)12月、奈良家庭裁判所で、興味深い訴訟の審理が始まりました。不妊治療の一環として人工的に受精し凍結保存された受精卵を、別居中の妻が夫に無断で体内に移植し、それによって子を妊娠、出産したのに対し、その後、離婚した元夫が、親子関係が存在しないことの確認を裁判所に求めたものです。

夫婦は平成16年に結婚。22年頃から不妊治療を開始し、体外受精で複数の受精卵を凍結保存しました。妻は受精卵の移植を試み、夫婦は1年後に長男をもうけますが、その後、夫婦関係は悪化し、別居することになります。しかし、妻は別居後も2人目の子を持ちたいと希望し、これを夫に拒絶されたことから、平成26年春以降、凍結保存された残りの受精卵を夫に無断で数回にわたって移植し、翌27年に長女を出産しました。

体外受精した受精卵の移植については、産科婦人科医で構成される学会が、移植ごとに夫婦の同意を求めるという倫理規定を定めていますが、この事件で妻に受精卵を移植したクリニックは、夫婦が治療を始めた際に、夫婦の同意を確認する書面を一度作成しただけで、その後はこの手続きを行っておらず、クリニックの院長は今回の移植について、夫の同意を得ているものと思い込み、妻に同意書面の提出を求めることなく移植を行いました。

夫婦は平成28年に離婚しますが、長女は夫婦の子として出生の届出がされていますから、元夫は、戸籍上、当然に長女の父となります。そこで、元夫は、長女と親子関係がないことの確認を求めて奈良家裁に提訴し、夫の同意がない受精卵の移植による出産は許されず、血縁のみを理由に親子関係を認めるべきではないと主張します。
全国の医療機関で行われる体外受精は1年間に約40万件で、これにより毎年5万人近い新生児が誕生し、出生数全体の約20人に1人の割合にまで広がっていますが、今回のような事例は、少なくとも司法の場に現れたものとしては初めてと言われています。

そこで、ここでは、この裁判の行方について考えてみたいと思います。

1 親子関係不存在確認訴訟

元夫の提起した訴えは、人事訴訟法上の「親子関係不存在の確認を求める訴え」と言われるもので、光GENJIの大沢樹生さんが長男に対し一昨年に提訴して話題になったものです(本ウェブサイト「親子関係の確定について」参照)。
この訴えは、子に民法の嫡出推定がはたらいている場合、つまり、妻が婚姻中に懐胎した子の場合、及び婚姻の成立から200日を経過した後、又は婚姻の解消から300日以内に出生した子の場合、原則として提起することができません。嫡出推定の効果は強力で、裁判所は嫡出推定のはたらいている父子関係の否定を原則として許さないからです。

大沢さんの場合、長男の出生が婚姻届の提出日から丁度200日目であったことから、前記の推定のはたらくいずれの場合にもあたらず、訴えが認められましたが、奈良家裁の事件の場合、妻が懐胎した平成26年当時、夫婦は婚姻中でしたから、本来であれば訴えを提起することはできないはずです。

しかし、先の原則には例外があり、例えば、妻が子を懐胎した当時、夫が刑務所に収監されていたり海外で生活したりしていて、妻が妊娠する可能性が客観的に全くなかったと言える場合、推定を覆すことを認めます。奈良家裁の事件の場合にも、妻が懐胎した当時、夫婦は別居していましたから、妻が夫の子を妊娠する可能性は客観的になかったという元夫の主張を裁判所が認めたのでしょう。もちろん、この事件の場合、凍結保存された人口受精卵による妊娠ですから、夫婦の間に性交渉があったかなかったかは、元夫との関係では問題となりません。しかし、その場合でも、妻が夫以外の男性の子を妊娠した可能性が当然に排除されるわけではありませんから、民法上の嫡出推定のはたらかないケースとして問題にはなり得ます。また、親子関係不存在の確認の訴えの場合、必ず家庭裁判所の調停という手続が先行し、調停でDNA鑑定を基に、元夫と長女の父子関係を明らかにすることもできたのでしょうが、裁判所は元夫の裁判を受ける権利を保障する意味でも、訴えを適法と認めたものと考えられます。

では、元夫の主張は認められるでしょうか。

2 元夫と長女の生物学上の父子関係

元夫が長女との父子関係を否定する根拠は、先に述べたように、形式的には長女に嫡出推定が及んでいないことにあります。嫡出推定がないのは、元妻が長女を懐胎した当時、夫婦が別居していたという事情があること、つまり、夫婦の間に性的な接触の可能性がなかったことによるものです。

しかし、人工授精の場合、性的な接触が不要なのは明らかです。そして、民法が嫡出を推定するのは、立法当時、生物学上の遺伝的関係を証明することができなかったという事情と、夫は妻との性的関係を独占するという経験則によるものですが、この事件の場合、生物学上の遺伝的関係は、長女の妊娠の際に使われた受精卵の精子が夫のものであることを証明することにより容易に証明することができます。つまり、法律上の推定以上に強力な科学的推定が存在しますから、民法上の嫡出推定がないという形式的な理由にはあまり意味がありません。 元夫が長女の生物学上の父である可能性は、ほとんど間違いないと言えるほど極めて高いものと言えるからです。

それでも、長女が元夫以外の男性の子である可能性は、一応、観念的なものとしてはあり得ますが、元妻としては、元夫の請求に対し、長女と元夫のDNA鑑定結果を証拠として提出することにより、元夫の主張を排除できます。しかし、この事件ではDNA鑑定にもあまり意味はありません。

先ず、そもそも元夫が鑑定に応じない可能性があります。元夫がDNA鑑定に応じる必要はありませんし、心情的にも応じたくはないでしょう。しかし、裁判所としては、本来、民法上の嫡出推定だけを根拠に元夫を長女の父親と認めることもできますから、DNA鑑定が必ず必要というわけではありません。ましてや、この事件の場合、先に述べた法律上の推定以上に強力な推定が存在します。
他方で、元夫としては、長女が他の男性の子であるという、この事件の場合にはあまり問題になりそうにない事態を別にすれば、長女が自分の子であることはほとんど間違いありませんから、DNA鑑定に応じて、長女と自分の生物学上の父子関係を認めた上で、法的な父子関係を否定するよう裁判所に求めることが考えられます。調停の段階でDNA鑑定が行われていたかどうか明らかではありませんが、いずれにせよ、この事件の場合、鑑定にあまり意味はありません。

では、元夫のこのような主張は認められるでしょうか。

3 元夫と長女の法的父子関係

民法には、子との関係で誰が法的な父であるかについて法律上の要件を定める規定はありません。したがって、生物学上の父であるからといって、法的には父ではないという主張が成立しないとは言えません。しかし、先の嫡出規定を定めた772条という規定は、妻を懐胎させた者、つまり生物学上の父が当然に法的にも父となることを前提にしています。したがって、民法上、後に述べる極めて例外的な場合を除き、生物学上の父が法的にも子の父であり、これ以外に父は存在しません。
では、この事件のように、父が子の出生を望んでいなかった場合でも、この原則は変わらないのでしょうか。

考えるヒントとして、多少極端で想定しにくい例ではありますが、妻がいやがる夫に無理矢理に性行為を強いて妊娠した場合を考えてみましょう。この場合でも、夫が子の父であることを否定することはできないでしょう。このことは、立場を逆転させ、もう少し現実に有り得る事例として、夫が妻を強姦して妊娠させた場合を考えればはっきりします。

判例上、夫婦の間に犯罪としての強姦は成立しにくいとされていますが、夫が妻の意思に反して無理矢理性行為を敢行すること、つまり事実上妻を強姦することは現実にあり得ます。そして、強姦によるものとはいえ、妻が妊娠し子が生まれれば、妻は母となります。民法の解釈上、母性は分娩の事実から一義的に確定され、子を分娩した者が母であり、養子縁組を別にすれば、それ以外に母はあり得ないからです。したがって、この場合に母が子との親子関係を否定することはできません。 このことを裁判所があらためて認めたのが、平成19年にプロレスラーの高田延彦さんとタレントの向井亜紀さん夫婦がした申立てについて最高裁が下した決定です(本ウェブサイト「代理母によって出生した子の親子関係」参照)。皮肉なことに、そこでは、卵子の提供者である向井さんは母とはされていませんが、これは、民法が、子を分娩した者が当然に卵子を提供した者であることを前提にしているからです。 そして、妻が子の出生を望んでいなかったとしても、子を分娩した妻は子の母であり、それ以外に母はないということは、妻がいやがる夫に無理に性行為を強いて妊娠したという先の場合とパラレルに考えることができます。

奈良家裁の事件でも、妻が夫の同意なく夫の子を妊娠したという意味では同じですし、強姦よりはよほど平和的です。また、そもそも元夫はかつて不妊治療に自ら同意し、妻と協力して受精卵を発生させています。
このように考えると、元夫は父親であることを否定することはできないと考えられます。

3 夫の死後に冷凍保存精子を用いた人工授精で子を出産した場合

では、奈良家裁の事件のような、生殖補助医療が関係する事件で参考になる事例はないでしょうか。同種の事件とは言えませんが、奈良家裁の事件を裏から考えるヒントになる最高裁判所の判例があります。平成18年のもので、妻が死亡した夫の冷凍保存精子を用いて妊娠、出産し、夫の死後認知を裁判所に求めた事件です。
この事件で、夫婦は夫の白血病治療の関係で夫の精子を凍結保存していましたが、その後死亡した夫は、生前、妻が自分の死後に人工授精により子をもうけることを望んでいました。つまり、奈良家裁の事件とは反対に、父親となることを望んでいました。

ところが、最高裁は、妻からの死後認知請求を却下、つまり、父子関係を否定します。最高裁は、その理由として、①民法上、夫の死後に懐胎した子と夫の間の親子関係は想定されていないこと、②死亡した夫が親権者となることはあり得ないこと、③死亡した夫が子を監護、養育、扶養することはできないこと、④父の死後に懐胎された子が父を相続することも代襲相続することもできないことを挙げています。つまり、法律が想定しないところに踏み込んでまで父子関係を認めても、子の福祉にとっては何の意味もないというのがその理由です。ここには、夫や妻の意思に対する配慮はあまりありません。

民法が夫婦とその子に嫡出関係を推定し、そこに強力な効果を与えるのは、子の生育の早い段階で子の扶養義務者を確定し、子の福祉を図ることにありますが、奈良家裁の事件ではこのことが平成18年の最高裁判例とは反対に作用します。最高裁の論理を奈良家裁の事件にあてはめてみた場合、①は無関係ですが、元夫は長女の親権者になることができます(②)。また、長女は元夫の監護、養育、扶養を受けることもできますし(③)、長女は元夫を相続することもできます(④)。つまり、奈良家裁の事件で元夫を長女の父と認めることには、子の福祉を図る上で十分な意味があると言えます。

先に、生物学上の父が法的にも子の父であり、これ以外に父は存在しないという原則には極めて希な例外があると述べましたが、それは、性同一障害により性別を女性から男性に転換した者が婚姻して夫として子をもった場合です(本ウェブサイト「性同一性障害により性別を変更した夫と子の父子関係について」参照)。この場合、裁判所は、生物学上の父ではない者を父と認めるわけですが、その理由は、それが子の福祉に適うものだからで、奈良家裁の事件における元夫の主張のように、父である者を父ではないと認めるものではありません。そして、元夫の主張を認めれば、子の福祉に反することになりますから、裁判所としては元夫のこのような主張を認めることはできないと考えられます。

4 まとめ

このように考えた場合、元夫が長女の父であることを否定するのは相当に高いハードルであると言えそうです。
確かに、妻が夫に無断で受精卵を移植し、クリニックも夫の同意の確認を怠ったなど、元夫に同情すべき点がないとは言えません。しかし、元夫が2人目を望まないなら、クリニックに対し受精卵の廃棄を求めることもできましたし、ましてや、元夫は妻が2人目の子を望んでいたという、いわば危険を察知していたわけですから、むしろそうすべきであったとも言えます。

他方で、元夫は、新聞社の取材に対し、長女から面会を求められたら、どのような態度をとってよいのか分からないと、複雑な胸の内を述べています。元夫のこのような苦しい立場は理解できないものではありません。元夫は「親の了解なく、受精卵が移植できる現状はおかしい」として、裁判で生殖補助医療のあり方を問いたいと考えているようです。

子を求める3組に1組の夫婦が不妊に悩んでいるといわれる今日、生殖補助医療は救済にもなりますが、社会の想定を超えた子の出現という現実に法律が追いつかず、様々な問題が現実化していることは、以前にもお伝えしました(本ウェブサイト「代理母によって出生した子の親子関係」参照)。先の最高裁判例でも、立法による救済の必要性が指摘されています。