認知症の高齢者が第三者に損害を生じさせたら

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高齢者が車の運転を誤り、交通事故を引き起こしてしまうという報道に触れることがたびたびあります。多くの場合、アクセルとブレーキを踏み間違えるという判断ミスによるものですが、中には認知症と診断された方によるものもあります。日本の認知症患者は2012年時点で約462万人、高齢者の7人に1人であり、2025年には、700万人、高齢者の5人に1人を占める見込みです。日本は前例のない認知症社会に突入しようとしています。不幸にも認知症患者が引き起こしてしまうさまざまな類型の事故は、今後も増加することが予想されます。
これらの事故は、本人はもとより、社会一般にとって重大な危険を意味すると同時に、認知症患者の家族に対しては、事故によって生じた損害の賠償という問題を突き付けます。認知症患者が他人に損害を与えた場合、家族はその賠償責任を負うのでしょうか。
今年(平成28年)3月、最高裁判所で非常に興味深い判決がありました。愛知県に住む91歳の認知症の男性がJRの線路内に立ち入り、列車に衝突して死亡しましたが、JRが振替輸送などの対応により損害を被ったとして、男性の妻と長男に約700万円の損害賠償を求めたもので、一審は妻と長男の、控訴審は妻のみの責任を認めました。これに対し、当事者双方の上告を受けた最高裁は、JRの請求を全部棄却し、妻も長男も損害賠償責任を負わないことになりました。
この事件は、ワイドショーなどでも盛んに取り上げられましたが、その論調は、一致協力して男性を介護していた家族に対する同情からか、判決を支持するものが大勢でした。しかし、裁判所は同情では判決を出しません。あくまでも法律の条文とその解釈が根拠となります。では、この事件について、最高裁はどのような論理で判決に至ったのでしょうか。

1 法定の監督義務者の損害賠償責任(民法714条1項)

民法713条本文は、責任無能力者、すなわち、「精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある者」は、他人に損害を加えても賠償責任を負わないとしています。平成28年の事件の男性は、重度のアルツハイマー型認知症と診断され、日常生活や意思疎通も困難になっていましたから、責任無能力であったことは間違いありません。責任無能力者が他人に損害を加えた場合、お隣の714条1項本文により、原則として法定の監督義務者が第三者に対し損害を賠償する責任を負うことになります。そして、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠ったことと損害との間に因果関係がないときに限り、例外的に責任を免れます(同項ただし書き)。
では法定の監督義務者とは誰でしょう。他人に損害を加えたのが子どもであれば子どもの両親であることに間違いはありませんが、この事件のような認知症の患者の場合、実ははっきりしません。男性が成年被後見人であれば監督義務者は成年後見人ということになりそうですが、男性は裁判所の後見開始の審判を受けていませんでしたから、成年後見人は存在しませんでした。また、かつては精神保健福祉法という法律上、精神障害者の保護者とされた者が714条1項の法定監督義務者とされていましたが、この法律は平成11年に改正され、現在は保護者という制度自体が存在しません。これでは714条1項を適用することができなくなりますから、「法定の監督義務者に準ずべき者」、すなわち準法定監督義務者という事実上の地位を認め、その者に賠償責任を負わせることも考えられますが、そもそも「法定の監督義務者」が誰だかはっきりしないのですから、それに「準ずべき者」もはっきりしません。
何を今更と言われそうな状況ですが、最高裁は、①男性の妻と長男は法定の監督義務者にあたるか、②あたらないとすれば「法定の監督義務者に準ずべき者」にあたるか、③「準ずべき者」にあたる場合、妻と長男は監督義務を怠らなかったと言えるか、について検討しました。そこで、この順番に最高裁の判断を見てみます。

2 妻と長男は法定監督義務者か

先ず、第一審は、横浜市に住み東京でサラリーマンをしていた長男が、5年以上に及ぶ男性の介護に主体的に関与し、自らの妻を愛知県に転居させて父親の介護にあたらせるなどした点を捉え、長男は、社会通念上、714条の法定監督義務者と同視し得る「事実上の監督者」であったとし、損害賠償責任を負わせました。「事実上の監督者」とは「法定の監督義務者に準ずべき者」と同義です。法定監督義務者が誰だかよく分からないから、そこを飛ばしていきなり「準ずべき者」を登場させています。介護の中心にいたのだから最後まで面倒を見るべきという論理ですが、控訴審はこの論理を受け入れず、最高裁も控訴審の判断を支持しました。この結果、長男は損害賠償責任を免れました。
確かに、長男は、民法上、男性の直系血族として男性を扶養する義務を負っていますが、扶養義務は経済的な扶養を中心とする扶助義務であって、認知症の父親を引き取って介護をする義務までは含みませんから、法定の監督義務者とは言えません。他方、後述するように、長男は家族のリーダーとして男性の介護を主導していましたから、事実上の監督者と見るべき余地も十分にありましたが、結論として長男は「準ずべき者」にはあたらないとされました。
次に、第一審は、男性の妻について、民法709条と言う一般不法行為の条文を根拠に損害賠償責任を認めましたが、控訴審はこれを否定し、709条ではなく752条という条文を持ち出して男性の妻を法定の監督義務者としました。「そっちかよ」という声が飛んで来そうです。
しかし、752条は夫婦の同居、協力及び相互扶助を定めた抽象的な条文で、夫婦は共同生活を営んでゆく者としての当然の義務を相互に負担すべきであるという理念的な規定です。夫婦の一方がこれらの義務を負わない場合に離婚原因になることはあっても、同条を根拠に第三者との関係でいきなり損害賠償責任が発生するというのはやや飛躍があります。バットがかすりもしないとまでは言いませんが、最高裁も、配偶者は当然には法定監督義務者にはならないとして、あっさりとこの判断を覆しています。
更に、男性は後見開始の審判こそ受けていませんが、後見開始の要件である「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者」(民法7条)に間違いありませんから、本来、男性の妻か長男が成年後見人に任命されているべき状況でした。そして、平成11年に民法が改正されるまでは、後見人は被後見人に対する療養看護義務を負っていましたから、法定の監督義務者にあたる可能性がありました。しかし、法改正により、この義務は身上配慮義務という義務に改められ、その内容は、もっぱら成年後見人が被後見人を代理して契約などを行う場合に、被後見人の心身の状態や生活の状況に配慮しなければならないというものにとどまります。したがって、仮に男性の妻や長男が男性の成年後見人に任命されていたとしても、男性の介護を行うことや、行動を監督する義務を負わせることはできず、ましてや、後見人でもない妻や長男を法定の監督義務者にすることはできません。
そうすると、男性の妻も長男も、714条の法定監督義務者にはあたらないばかりか、そもそも精神障害者については、現行法上、法定監督義務者が法定されていないという非常に不自然なことになりますが、最高裁はそのことを問題にしていません。法定監督義務者がいなくなったのは法律の改正によるもので、法律の世界ではけして珍しいことではありませんし、新しい法律ができれば法定監督義務者があらたに登場することも考えられます。また、法定監督義務者がいなくても、次に述べる「法定の監督義務者に準ずべき者」がいれば714条を適用する上で何も問題はないからです。

3 「法定の監督義務者に準ずべき者」

では、「法定の監督義務者に準ずべき者」とは誰でしょう。
最高裁は「責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし、第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたと見るべき特段の事情が認められる場合」に、その者が「法定の監督義務者に準ずべき者」にあたるとしています(判決の文章は長い割に読点が少ないので、非常に読み難いですがご容赦下さい)。そして、ある者が「準ずべき者」にあたるか否かは、「親族関係の有無・濃淡、日常的な接触の程度、精神障害者との関わりの実情、介護の実態などを総合的に考慮し、その者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当と言える客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべき」であるとしています。裁判所の言い回しに慣れない人には、理解するのに半日くらいかかりそうな文章ですが、「準ずべき者」というのが、それぐらい言葉を尽くさないと決められない、非常に微妙な役回りであることの現れとも言えます。
その上で、男性の妻については、妻自身が既に85歳で、歩行にやや困難を抱え、軽度の要介護状態にあったことから、男性の加害行為を防止するために男性を監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず、監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情もないとされました。老老介護の妻は監督義務者にあたらないとしたのです。
また、男性の長男についても、横浜に居住し都内に勤務していたこと、事故発生まで20年以上も男性と同居していなかったこと、男性の認知症発症後もせいぜい月3回程度、週末に実家を訪ねていたに過ぎないことなどから、男性を監督することが現実的に可能な状況になく、監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情もないとされました。
そして、男性の妻と長男が法定監督義務者にあたらず、「準ずべき者」でもないとすれば、もはや監督義務を怠ったかどうかを検討する意味はなく、結局、妻も長男も損害賠償責任を免れました。
もっとも、このような多数意見に対し、2人の裁判官が、長男は「準ずべき者」にあたるが、監督義務を怠らなかったとして、例外的に免責を認めるべきであるとの補足意見を述べています。損害賠償責任を負わないという結論は変わりませんが、結論に至る理由が異なります。
確かに長男は横浜市に居住し東京で働いていましたから、父親を直接介護する機会は少なかったようですが、自分の妻、つまり認知症の男性からすれば息子の嫁を転居させてまで父親の介護にあたらせ、介護専門職の資格を持つ妹の意見を聞きながら、適宜介護方針を決定し、自らも頻繁に実家を訪問しています。また、長男の妻は、長男の嫁としての義務を果たすべく、男性が介護施設のデイサービスを受けている間以外は、ほとんど付きっきりで男性を介護していました。そして、長男を中心とするこの家族の集団は、男性を特別養護施設に入所させてしまえば、自らの負担や責任を軽減できることを知りつつ、その場合、男性の認知症がますます悪化してしまうという懸念から、重い介護の負担を承知で自宅介護という選択を選びとっています。つまり、男性の家族は、介護の責任と危険をすすんで引き受け、長男はその中心にいました。ちなみに、男性は、生前、不動産管理業を営み、比較的潤沢な現金と不動産を有していましたから、家族が男性の介護を金銭的に解決しようと思えば、けして不可能ではありませんでした。
にもかかわらず、男性の家族は、男性を家庭内にとどめつつ、男性が社会に危険を持ちこまないよう協力することを決定し、それに沿って適切な努力をしていました。家族が尽くしたこれらの努力の痕跡を子細にたどれば、長男を監督義務違反とすることはできないでしょう。親の介護に取り組めば取り組むほど、一方的に重い責任を負うことになるとすれば、親の介護をする人はいなくなってしまいます。

4 28年判決の意味

では、認知症患者が他人に生じさせた損害について、家族は賠償責任を負わないということなのでしょうか。
そうではないというべきでしょう。
確かに、精神障害者について法定監督義務者は当面存在しないことになりましたし、28年判決の多数意見では長男は「準ずべき者」にもあたらないとされましたが、最高裁の定立した「準ずべき者」の定義とその判断枠組みは法的評価を含む不確定な概念で、具体的な事案に応じてどのようにも変身します。判決が示した同じ基準で長男を「準ずべき者」と認定することはけして不自然ではありません。しかし、「準ずべき者」とされれば、原則として損害賠償という重い責任を負わされることになりますから、最高裁は、事例の蓄積の少ない中で、長男を「準ずべき者」と認定することに慎重な姿勢を採ったに過ぎません。
精神障害者について、法定監督義務者がいなくなったのは法律の改正によるものと述べましたが、この改正はノーマライゼーションという考え方によるもので、これは障害のある人も、家庭や地域社会で通常の生活をすることができるような社会を作るという理念です。そして、そうである以上、障害のある人が生じさせた社会的損失は社会全体で負担することになります。そのような意味で、28年判決は、損害を社会全体、つまりこの事件で言えばJRやその利用者で負担し、男性の家族には負担させないという判断をしたものと考えることができます。
他方、社会全体に負担を引き受けさせる以上、障害を持つ人の家族にも、社会に対する応分の責任を果たすことを求めるのが筋です。28年判決の事件では、男性の家族は、男性の徘徊行動を受けて、万一、男性が自宅から抜け出して1人で外出してしまった場合に備え、警察にあらかじめ連絡先を伝えたり、男性の氏名や連絡先を記載した布を男性の上着に縫いつけたりしていたほか、自宅玄関付近にセンサー付きチャイムを設置し、男性が玄関付近に近付いたことを把握できるようにするなど、それなりに適切な対策を施していました。それでも事故が起こったのは、不幸な偶然が重なったためですが、家族は男性が1人で社会に紛れ込んでしまわないよう、社会に対して適切に責任を果たしていたと言えます。そうであるからこそ、男性は損害賠償責任を免れたのだと考えるべきでしょう。多数意見と補足意見の違いは、そのことを「準ずべき者」の認定で考慮したのか、例外的な免責の認定で考慮したのかの違いに過ぎません。

5 まとめ

不幸は手をつないでやって来ると言います。認知症患者の家族が不幸な事件によって経済的な負担を抱え込み、更に不幸にならないようにするためには、家族自身も社会に対して相応の責任を果たしているかどうかが問われるのだと思います。そして、そのように考えることは、私たちが前例のない認知症社会を迎えようとしている現在、避けて通ることができません。