遺言者による遺言の破棄について

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多額の財産を持つ人が遺言をすることなく死亡し、遺産相続を巡って紛争となることがあります。今年(2016年)4月に亡くなったアメリカのミュージシャン、プリンスの場合、遺産は日本円で数百億から1000億にのぼると言われていますが、遺言を残していないことから、自称相続人が次々と現れ、決着には当分時間がかかりそうです。
1000億円とまではいかなくとも、ほとんどの人は生きているうちに誰かの相続人となりますし、「相続は、死亡によって開始」します(民法882条)から、誰もが人生の最後には被相続人となります。相続は、全ての人に必ず発生する法律問題です。
ところで、プリンスの場合とは反対に、遺言があるが故に紛争となる場合があり、その一つの類型が、遺言の形式や解釈が問題となる場合です。
昨年11月、最高裁判所で興味深い判決がありました。広島県で開業医を営んでいた男性が亡くなり、その相続を巡り男性の子XYが原告と被告に分かれ、遺言の効力を争ったものです。この事件で、被相続人である開業医の男性は、自宅兼病院の土地建物や預金など、相続財産のほとんどをYのみに相続させる旨の遺言書を残していたのですが、何故か遺言書の文面全体に赤のボールペンで斜線が引かれていました。そこで、Xは、男性の遺言が無効であることの確認を求める訴えを裁判所に起こしました。遺言が無効であれば、法定相続によりXYは同等の相続を受けることになりますから、Xは相続において相当の取り分を得ることができます。
Xの請求に対し、一審の広島地裁、控訴審の広島高裁のいずれも、遺言は有効であるとしてXの訴えを退けましたが、最高裁は一転して遺言を無効としました。何故、裁判所の判断はこのように分かれてしまったのでしょう。
そこで、ここでは、遺言をめぐる問題について考えてみたいと思います。

1 遺言の意義とその要式性

人が死亡したとき、その者の財産は原則として法定相続人、つまりその者の配偶者、子、又は親兄弟など一定の範囲の親族により、法定の割合にしたがって相続、つまり承継されます。相続には、私有財産制の下、財産の形成に貢献した者に潜在的な持分を払い戻したり、残された遺族の生活を保障したりするなど、様々な意義や機能があります。
相続の割合は法定相続分が原則ですが、被相続人の遺言によりこの原則を一定の範囲で修正することができます。遺言は、単独の法律行為、つまり法律関係を発生させたり、変動させたりする一方的な意思表示で、認知などの身分関係に関する事項についてもすることができますが、主として自己の財産を死後に処分するために行われます。人は、自己の財産を自由に処分できますから、死後の財産処分も、本来、自由に行うことができるはずで、これを遺言自由の原則といいます。
しかし、遺言が効力を発生するためには、法定の厳格な要件を充足しなければなりません。公正証書という強力な方式を利用する場合はもとより、一般的な自筆証書遺言の場合でも、遺言者自身が、遺言の「全文、日付及び氏名を自書し、印を押さなければ」なりません。押印についてはやや緩やかに解されるようになっていますが、自書、すなわち自筆で筆記されたものであることという要件は厳格で、パソコンやタイプライターによって作成したものや、自筆であってもコピーしたものは自書とは認められません。また、氏名はもちろん、日付を欠いても無効ですし、「平成28年正月吉日」のような曖昧な記載も無効とされます。このように遺言に厳格な要件が求められるのは、相続を巡る争いが法的紛争となり、遺言の意味を確認しようと思ったときには、既に遺言者は死亡していますから、遺言者の真意を事前に確保し、事後的な変造・偽造を防止するためです。
また、いったん遺言が成立しても、気が変われば、遺言を撤回、つまりなかったことにしたり、変更したりすることができますが、遺言の成立に厳格な要件が求められることから、変更にも厳格な要件が定められ、撤回も原則として「遺言の方式にしたがう」必要があります。つまり、遺言を撤回するためには、本来、あらたに遺言を作成する必要がありますが、一定の場合、撤回があったとみなされる場合があります。①前の遺言と抵触、つまり矛盾する遺言がされた場合、②遺言と抵触する財産の生前処分、例えば他人に財産を贈与するなどした場合、③遺言者が故意に遺言書を破棄した場合、及び、④遺言者が故意に相続の目的物を破棄した場合です。先の平成27年判決の事件では、遺言者である開業医の男性が遺言書に赤のボールペンで斜線を引いたことが、③の「破棄」にあたるかが問題となりました。

2 遺言の「破棄」

遺言の「破棄」には、焼捨て、切断、一部の切捨てなど、遺言書自体を物理的に破壊する場合のほか、遺言書の内容を識別できない程度に抹消すること、つまり遺言書の文字を消したり塗りつぶしたりすることを含みます。しかし、遺言の撤回という重大な効果を生じさせるためには、遺言の全部を完全に判読不可能なものにする程度に抹消する必要があるとされ、文字の上に斜線や2本線を引いても、元の文字が判読できれば破棄にはならないとされていました。元の文字が判読できる状態で一部のみが抹消されているのであれば、遺言の変更に過ぎず、遺言者が遺言を変更するには、「遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ」ならないとされていますから、この要件を具備しない限り変更としても認められません。
平成27年の事件では、遺言書に斜線を引いたのは遺言者である開業医の男性であることが認定されており、第三者による遺言書の改ざんの可能性は排除されています。それでも一審及び控訴審は、遺言書の文面全体にボールペンで斜線を引いた程度では、元の文字は十分に判読できることから、遺言の効力は失われていないとしました。遺言書の文面全体に斜線を引いたとしても、通常、元の文面はそのまま保存されていますから、判読にほとんど困難はありません。したがって、男性の行為は遺言の変更にしか過ぎず、先に述べた変更の要件を具備していないことから、変更とは認められないとされたのです。

3 平成27年判決、「その行為の有する一般的な意味」

これに対し、最高裁は、遺言の変更は遺言の効力を維持することを前提に遺言書の一部のみを変更する行為であり、元の文字が判読できる状態であれば、適式な要件を充足しない限り、変更の効力を否定する場合もあるとした上で、この事件のように、赤色のボールペンで遺言書の文面全体に斜線を引く行為は、「その行為の有する一般的な意味に照らして、その遺言書全体を不要のものとし、そこに記載された遺言の全ての効力を失わせる意思の表れとみるのが相当」であるとし、男性は「故意に遺言を破棄した」のであって、これにより遺言は撤回されたものとみなされるとしました。
確かに、日常生活でも、書類の文面全体に斜線を、それも赤色のペンで引くというのは、「その行為の有する一般的な意味」としては、その書類をなかったことにしようということでしょう。最高裁の判決は、その限りでは納得できるものと言えます。そして、この判決により、文字の上に斜線や取消し線を引いても、元の文字が判読できれば破棄にはならないという従来の解釈には留保がつくことになり、斜線や取消し線が文面全体にわたれば、遺言の撤回とみなされる場合があることになりました。
しかし、普通の人が書類を破棄しようとする場合、普通はその書類を破り捨てるでしょうし、人に見られたくない遺言書のような書類の場合、シュレッダーで細断したり、念を入れて焼却したりするのが普通で、斜線を引いたまま保管しておくのは何か目的があるとしか思えません。特に、この事件の男性の場合、開業医という職業柄、自宅にシュレッダーくらいは持っていたのではないかとも思われますが、細断するどころか、許可を受けて取り扱っていた医療用麻薬を保管するための金庫にわざわざ遺言書を保管し、この金庫の鍵を自ら管理していました。男性はいずれ何かの形でこの遺言書を再利用しようとしていたか、あるいは遺言を撤回した事実の証拠としてあえて遺言書を残していたなど、斜線付きの遺言書に何らかの利用価値を認めていたのではないかと考えられ、遺言を完全に撤回する意思であったのかどうかはよく判りません。まさに、遺言者の真意を確認しようにも、遺言者の死亡によりそれができなくなってしまったという、民法が想定している典型的な事例でした。そのような意味では、遺言の成立、変更及び破棄に厳格な要式性を求める地裁、高裁の判断も、もっともであるという気がします。

4 遺言の解釈

しかし、最高裁は、遺言書の文面全体に斜線を引く行為は、「遺言書を不要のものとし、遺言の効力を失わせる意思の表れ」としていますから、問題を遺言の要式性の問題としてではなく、遺言全体に表れた遺言者の最終意思の解釈の問題と捉えているように思われます。そして、判決では言及されていませんが、先例となる最高裁判決があり、それによれば、「遺言の解釈にあたっては、遺言者の真意を探求すべきであり、特定の条項を解釈するにあたっても、遺言書の全記載との関連、遺言書作成当時の事情及び遺言者の置かれていた状況などを考慮して遺言者の真意を探求し当該条項の趣旨を確定すべき」としています。27年の事件で問題となった「斜線」は「条項」ではありませんが、「条項」を「表示」又は「図形」と置き換えれば、この判示は27年の事件にも妥当します。27年の事件では、遺言書作成後に、遺言者の男性とYとの関係が悪化したことが原告から主張されており、Yにほとんどの財産を相続させるという男性の意思に変化が生じていた可能性がありました。
また、最高裁のこの事件での遺言解釈を支える今一つの事情として、男性の遺言が相続の法定原則を大きく越えるものであったことが挙げられます。冒頭に述べたように、相続は法定相続が原則で、遺言によりこの原則を修正できるとしても、それは一定の範囲に限られ、配偶者や子には、遺言によっても奪われない遺留分という最低保障部分がありますが、この事件の男性の遺言は、Yのみにほとんどの財産を相続させるというもので、Xの遺留分を侵害していた可能性があります。もちろん、男性が自己の相続において、XYの相続分に一定の差をつけることは可能ですが、同じことは、法定相続を前提に、相続人間の遺産分割協議により円満に行うことも可能です。原則からの逸脱の当否は慎重に判断されるべきというのが解釈の基本であり、この事件では、遺言を有効とするよりも、無効とする方が、より無難な解決であったと考えられます。

5 まとめ

平成27年判決の事件で、開業医の男性は思うとおりの相続を実現できたのでしょうか。残念ながらそうとは言えないでしょう。男性がYに多くの財産を残したかったとすれば、男性はそれを実現できないことになりました。また、XYを平等に扱おうとしていたとしても、最高裁まで行かないと解決できない紛争をXY間に生じさせてしまいましたし、最高裁で判決が出ても、XY間に生じた感情的な対立まで解決したわけではありません。相続をめぐる男性の真意がどのような変遷を辿ったのかはもはや知ることができませんが、いずれにしても、男性が、自分の死後に、ともに自分の子であるXYが相争う事態を望んでいたはずはありません。
遺言には遺言事項という概念があり、法律的に意味のある事項でなければ遺言としての意味はありません。「家族仲良く暮らすこと」と遺言に書いても、法的には意味がありませんから、民法上の遺言には含まれません。かえって、この事件のように、遺言があるが故に、残された家族の間に不和を生じさせてしまう場合があります。
しかし、適切な遺言により、家族の間に紛争が生じることを防ぐことは可能です。そのためには、遺族の納得のゆく相続を、正しく、かつ誤解の生じない適切な表現で行うことが重要です。