インターネット・SNS上の名誉毀損


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インターネットの投稿サイトやSNSに軽い気持ちでアップした発言や動画が炎上し、ネット上で袋叩きにあったり、マスコミに取り上げられて非難されたりする事件が後をたちません。当の本人が袋叩きにされたり非難されたりする分には自業自得でしょうが、発言や動画が他人に関するものである場合、それだけではすまないことがあります。

平成28年11月、大阪大学の教授が、虚偽の内容をツイッターに投稿されたとして、投稿した学生に200万円の損害賠償を求めた事件の判決が大阪地方裁判所でありました。教授が大学の講義で、「かつては阪神タイガースが優勝した場合、学生全員を合格とする教授もいたが、現在はそんなことはない」とする趣旨の発言をしたところ、講義に出席していたある学生が、「タイガースが優勝したら無条件で単位くれるらしい」とツイッターに投稿し、この投稿が多数のニュースサイトなどに転載され、教授を揶揄(やゆ)するコメントがネット上に流れるなどしたというものです。学生の投稿は講義で示されたスライドの一部だけを使って教授の発言を勝手に変更したものでした。

成績評価は大学の教員の重要な職務の一つです。裁判所は、「教授が正しい成績評価をしていないと思った人も一定数いたと考えられる」として名誉毀損の成立を認め、学生に30万円の支払いを命じました。学生は軽い気持ちだったようですし、命じられた賠償額もけして高額なものではありませんが、名誉毀損は犯罪でもあり、結果はそれなりに重大です。

インターネットは情報の獲得手段としていまや日常の生活に不可欠なツールですが、情報の発信手段として飛躍的に進歩したことに、単なる道具としての進歩を超える社会的な意義があります。それまでは新聞や放送局、出版社というマスメディアに独占されていた情報の供給者としての地位を、個人でも簡単に手に入れることができるようになったからです。それだけに、インターネットの世界では、情報発信者の「軽い気持ち」が重大な結果を生じさせてしまうことがしばしば起こり、名誉毀損はその典型的な例であると言えます。
そこで、ここでは、インターネット上の名誉毀損について考えてみたいと思います。

1 名誉毀損の意義

そもそも、名誉毀損とは何でしょう。名誉毀損については民法と刑法に条文があり、両者でいう名誉毀損は厳密には同じものではありませんが、いずれにおいても、その中核的な意味は、事実を示して人の社会的評価を低下させること、というものです。

ここでいう「事実」とは、裁判所の定義によれば、「証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項」、つまり他人に関する立証可能な命題ということですが、証明の対象は「存否」ですから、真実かどうかを問いません。つまり、虚偽であればもちろん、真実であっても名誉毀損は成立しますし、公知の事実、つまり、既に広く知られた事実であっても構いません。
先の事件で言えば、教授が実際に「タイガースが優勝したら無条件で単位くれる」先生であって、学生や大学の関係者がそれを知っていたとしても名誉毀損にあたる場合があります。

社会的評価」は、先の事件で言えば、教授が、タイガースの優勝とは無関係に、正しい成績評価をする先生かどうかということですが、投稿により実際に社会的評価が低下したかどうかは関係ありませんし、もともとの社会的評価が誤ったものであっても、それを低下させるものであれば名誉毀損になります。社会的評価の低下を実際に測定することは困難ですから、社会的評価の低下をもたらす可能性のある事実を示すことだけで、名誉毀損は成立します。そして、社会的評価の低下をもたらすかどうかは、「一般読者の普通の注意と読み方」、つまり、常識を基準として判断されます

先の事件で言えば、教授は、投稿により、正しい成績評価をしない不真面目な先生という社会的評価を普通は受けることになり、教授が実際に不真面目な先生であったとしても、投稿が名誉毀損にあたる場合があります。

2 公然性

しかし、「社会的」評価ですから、学生が仲間内で教授の悪口を言った程度では名誉毀損にはなりません。刑法ではこれを公然性、つまり「公然と事実を摘示」するという要件として明らかにしていますが、その意味は、示された事実を不特定又は多数の人が知り得る状態に置くこととされています。民法でも同じことが言えるでしょう。

そのような意味では、インターネットほど公然性の高いメディアはほかにないでしょう。先の事件の学生はツイッターに投稿していますが、ツイッターは不特定多数者に向けられた開放性の高いメディアですから、公然性は当然に認められますし、ブログやホームページ、投稿サイトであっても同じです。
学生の利用したアプリケーションがLINEのテキストチャットやFaceBookへの投稿だった場合はどうでしょう。LINEはもっぱら仲間内の会話ですし、FaceBookも設定によっては閲覧者を制限することができますので、公然性が認められないかも知れません。しかし、「不特定」や「多数」は抽象的な概念で、その解釈は、事案ごとの具体的な事実関係に対する法的評価に帰着しますから、低下したと言われる社会的評価の内容によってその意味も変わります。先の事件で言えば、教授の成績評価の方法は、主に学生や大学関係者との関係で問題となりますから、投稿を閲覧した人の中にそれらの人が含まれていれば、閲覧したのが「特定」の人の集団であっても「多数」となる場合があります。更に、仲間内の会話でも、他人に引用されたり再利用されたりする可能性があれば「不特定」の者に向けられたものとされる場合があり、裁判例にも、スカイプチャットの会話の内容が、第三者からもアクセス可能なスカイプログとして保存されていたことから、名誉毀損の成立を認めたものがあります。

このような公然性という点に、インターネットでの名誉毀損が比較的容易に成立し、しかも被害が深刻化する理由の一つがあります。インターネットが情報の発信手段として飛躍的に便利になった結果、情報を発信しようと思う人は誰でも簡単にそれができるようになった一方、上手に情報の流通を制御しないと、インターネット上の情報は一瞬のうちに地球規模で拡散する上、一旦拡散した情報は回収することができず、被害が大規模かつ後戻りできない形で進行してしまうからです。メディアとしてのインターネットの特徴は、このようなインターネット自身の持つ自律性にあり、インターネット上の名誉毀損は、このようなインターネットが持つその性質から、加害者に自覚がないまま、加害者の想像を超えて被害が拡大してしまうという点に危険性があります。

加えて、以前は匿名の書き込みが問題になることが多く、加害者を特定することが難しかったのですが、顕名による利用を原則とするSNSが広く使われるようになり、加害者の特定が容易で、事件化しやすくなっていることにも注意が必要です。

3 真実性の抗弁・相当性の抗弁

一方で、インターネットやSNSに人の社会的評価を低下させるような事実を投稿しても名誉毀損にあたらない場合があります。投稿も、「表現」、つまり人の考えや情報を外部に向かって発表したり伝達したりする行為ですから、民主主義との関係でその自由は憲法上、強力に保護されていて、「表現」として価値のある投稿であれば、人の名誉を多少傷つけることがあるとしても正当化される場合があるからです。
具体的には、投稿が①社会の関心事に関するもので、②社会一般の利益にためにする目的で行われ、③投稿された事実が真実であれば、名誉毀損は成立しませんし、仮に真実でなかったとしても、真実であると信じるそれなりの理由があれば、やはり名誉棄損にはなりません。前者を真実性の抗弁、後者を相当性の抗弁と言い、典型的には政治家や社会的影響力のある人を批判する表現がこれにあたります。
先の事件で言えば、教授が実はいい加減な成績評価をする不真面目な先生であり、学生の投稿がそれを批判するためのものである場合です。大学の教員、特にこの事件のような国立大学の教員の職務執行のあり方は社会の関心事と言えますし、学生の投稿が教授の不真面目な仕事振りを批判しようとする目的を持ったものであれば、社会一般の利益になると言えます。このような場合、投稿によって得られる利益の方が、教授が社会的評価の低下によって被る不利益よりも大きいことから、犯罪としての名誉棄損や不法行為の要件となる違法性が欠けると考えられています。

また、投稿した内容が真実でなかったとしても、学生の側に、それが真実であると信じるべきそれなりの理由があれば、やはり刑法上も民法上も責任を負わせる理由である故意や過失がないとされます。しかし、それなりの理由があるというためには、確実な資料、根拠に照らして真実と考えることがもっともであると言えるような場合でなければなりません。インターネットにはどうせガセネタが多いから、根拠は薄弱でよいということにはなりません。
もちろん、先の事件の学生の投稿には、いずれの抗弁も成立しません。

4 意見や論評による名誉毀損

では、投稿の内容が、事実を示すものではなく、投稿者の意見や考えを表わすものであればどうでしょう。例えば、先の事件の事実関係を少し変えて、学生が、教授の講義は「つまらない」、「聴く価値がない」、「眠くなる」などと投稿した場合です。これらはいずれも学生の意見ないし評価であって、「事実」、つまり立証可能な命題とは言えません。このような場合には名誉毀損は成立しないのでしょうか。
しかし、刑法には事実を示すことを必要としない侮辱罪という犯罪がありますし、民法でも意見表明による名誉毀損という概念が認められています。これは、人の意見や考えについては表現の自由をより一層保護する必要があることから、人の社会的評価を不当に傷つける行為については罰を負わせたり、民事上の賠償責任を負わせたりしつつ、名誉毀損の要件をより厳格なものにして、刑罰を軽くしたり、名誉毀損が認められる場合を制限したりしようとするものです。

もっとも、何が意見で、何が事実であるかの線引きは実際には難しい場合が多く、意見だからという理由で名誉毀損にならないと安易に考えることは危険です。判例を分析してみると、少なくともリアルな空間においては、相手方が反論できるような形で意見が表明されている場合、多少問題のある意見でも名誉毀損は成立しないとする一方、相手方が反論できないような状況で、相手方に対する消極的な評価が一方的に表明されている場合には、名誉毀損を認める傾向にあります。表現の自由という考え方は、平和なものである限り論争を歓迎するのですが、論「争」である限り、時として行き過ぎてしまうことがあることも認めないと、表現が萎縮してしまって活発な論争が期待できないからというのがその理由であると考えられます。このような考え方はインターネット空間にもあてはまるはずです。

先の例で言えば、学生の「つまらない」、「聴く価値がない」、「眠くなる」が、教授が容易に反論できる形で公開されているのではない場合、名誉毀損になる可能性が高いと思います。

5 まとめ

以前にもお伝えしましたが(本ウェブサイト「忘れられる権利」参照)、インターネットの情報の拡散力と情報ツールとしての有用性は圧倒的で、このような強力なツールを使いこなしてゆく上では、それを使いこなすだめのリテラシーとして、自分の発信した情報に誰がどう反応し、それがどう利用されるのかを見極める想像力が非常に重要です。そのような想像力を欠けば、「軽い気持ち」が重大な結果を生じさせてしまう事件は、いつまでもあとをたたないでしょう。