インターネット上のヘイトスピーチとその規制

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名誉棄損やプライバシーの侵害と並び、インターネットへの投稿で問題の多いのがヘイトスピーチです。ヘイトスピーチとは、「人種、国籍、思想、宗教、性的指向、性別、障害などに基づいて、個人または集団を攻撃、脅迫、侮辱し、さらには他人をそのように扇動する言論等」(Wikipedia日本語版)を指しますが、その性質上、匿名でされることが多く、匿名性が一つの重要な価値でもあるインターネットは、ヘイトスピーチにとって都合のいい媒体と言えます。
ネット上には、およそあらゆる少数者集団に対するヘイトスピーチが存在しますが、中でも特に社会的に問題になっているのが在日韓国人・朝鮮人に対するもので、特に、平成21年に右翼系市民団体「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の会員を中心とする11名が起こした、いわゆる京都朝鮮学校公園占用抗議事件は、ヘイトスピーチに対する社会の関心を喚起しました。

この事件では、刑事裁判で被告人4名に対し侮辱罪、威力業務妨害罪、器物損壊罪が確定し、民事でも京都朝鮮学校の求めた高額の損害賠償請求が認められ、ヘイトスピーチに対する消極的な評価が司法の場でも認められたかに見えます。また、インターネットとの関係では、昨年、大阪在住の在日朝鮮人のフリーライターの女性が、インターネットの動画中継やツイッターで人種差別を煽るヘイトスピーチをされ、精神的苦痛を受けたとして、在特会とその前会長の男性に対し損害賠償を求めた事件で、女性の請求が認められています。

京都朝鮮学校の事件以後、ヘイトスピーチは社会的に関心を集め、それに対する社会一般からの批判や反感から、在日韓国人・朝鮮人に対するヘイトスピーチも一時下火になったようにも見えました。しかし、このところのソウルの日本大使館やプサンの総領事館前に設置された従軍慰安婦像(少女像)の問題を契機に、韓国や韓国人に対する反感を公然と表明したり、それを煽ったりするようなネット上の投稿も増え始めています。アメリカの大統領となることになったトランプ氏が移民に対する攻撃的な言動を繰り返していることや、ヨーロッパでも移民に対する風当たりが強くなっていることから、このような傾向は今後ますます強くなってゆく可能性があります。
そこでここでは、インターネット上のヘイトスピーチとその規制について考えてみたいと思います。

1 ヘイトスピーチは許されないか

京都朝鮮学校の事件や、大阪のフリーライターの女性の事件で、在特会は刑事でも民事でも敗訴しています。では、裁判所はヘイトスピーチを一般的に違法なものと認めているのでしょうか。実は、そうとも言い切れません。

京都朝鮮学校に関する刑事事件で成立した犯罪のうち、侮辱罪とは、「公然と人を侮辱した」ことについて成立する犯罪ですが、ここでいう「侮辱」とは、「他人(法人を含む)の人格を蔑視する価値判断を表示すること」をいいます。在特会は、法人である朝鮮学校の正門から拡声器を使い、同校に向かって、「朝鮮学校、こんなもんは学校でない」「北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ」「ろくでなしの朝鮮学校」「スパイの子供」「朝鮮ヤクザ」「日本人ぶち殺してここの土地奪った」などと述べていますが、これらの発言が法人としての朝鮮学校の人格を蔑視する価値判断を公然と表示したことは明らかで、侮辱罪にあたるのは当然です。

では、在特会の発言が朝鮮人一般に向けられたものであった場合はどうでしょう。例えば、「朝鮮人はろくでなし」「朝鮮人はみんなスパイ」「朝鮮人はみんなヤクザ」などです。これらがヘイトスピーチにあたることは間違いありません。

しかし、侮辱罪は犯罪の体系上、個人的法益に対する犯罪とされていますから、侮辱をされた特定の人との関係で成立し、これらの発言のように、朝鮮人一般の人格を蔑視する発言をしても侮辱罪は成立しません。もちろん、在特会は特定の人である朝鮮学校の前で学校に向かって発言していますし、朝鮮人一般には朝鮮学校の関係者や児童・学生も含まれますから、同じことのようにも思えますが、発言が朝鮮人一般に向けられたものである限り、朝鮮学校やその関係者の法的な利益、つまり、この場合で言えば、朝鮮学校や関係者の名誉ということになりますが、それに対する侵害は、言うなれば水で薄められたようなもので、在特会に刑罰を負わせるほどの強いものとはならないと考えられます。具体的な状況や発言の内容にもよりますが、侮辱罪としては成立しない可能性が高いでしょう。つまり、判決は、ヘイトスピーチそれ自体を犯罪であると認めた訳ではありません。また、この事件で侮辱罪と同時に成立した威力業務妨害罪や器物損壊罪も、スピーチそのものとは直接には関係がありません。

損害賠償についても同じです。朝鮮学校やフリーライターの女性の請求は、民法の不法行為を根拠とするものですが、この請求も、特定の人に生じた損害、つまり侮辱され名誉を傷つけられたという、その人自身に生じた無形の損害や精神的損害に対する賠償を求めるもので、判決が朝鮮人一般に賠償を認めたものではありません。そうすると、在特会がネット上で朝鮮人一般を「ろくでなし」「みんなスパイ」「みんなヤクザ」と言ってみても、日本中の朝鮮人全員が在特会に損害賠償を請求できるわけではありません。つまり、ここでも、ヘイトスピーチそれ自体から当然に損害賠償請求権が出てくる訳ではありません。京都朝鮮人学校の民事訴訟で、裁判所は次のように述べています。「人種差別的発言が行われた場合に、個人に具体的な損害が生じていないにもかかわらず、人種差別行為がされたというだけで、裁判所が行為者に対し、賠償金の支払いを命じることはできない。裁判所は、具体的な損害が発生している場合に初めて、損害賠償を命ずることができるにとどまる。」
つまり、どれだけ過激なヘイトスピーチを行っても、それが特定の人との関係で名誉を傷付けたり損害を生じさせない限り、裁判所がヘイトスピーチに犯罪を成立させたり、損害賠償の支払いを命じたりすることはできないとうことになります。

2 ヘイトスピーチに対する法的規制

では、ヘイトスピーチを法律で規制することはできないのでしょうか。平成28年に、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」、いわゆるヘイトスピーチ規制法が成立しています。

しかし、この法律は全7条と国会の附帯決議からなる極めて簡潔なもので、内容的にも、基本理念やヘイトスピーチのない社会の実現に向けた国の責務、教育の充実や啓発活動を定めた理念法的色彩の強いもので、ヘイトスピーチに対する禁止規定や罰則規定を定めたものではありません。もちろん、理念法であっても、裁判において民法や刑法の解釈の根拠となり得ますから、ヘイトスピーチに対する一定の抑制力にはなりますが、ヘイトスピーチを直接規制できるほど強力なものではありません。

また、日本はヘイトスピーチそれ自体を犯罪と宣言している国際的な人種差別条約や、ヘイトスピーチを法律で禁止すると定める国際人権規約自由権規約に参加していますが、国内法としては憲法がこれらの条約に優先しますから、憲法に反する形でヘイトスピーチを規制することはできません。
このように法律はヘイトスピーチの規制に対して少し頼りない態度をとっているように見えますが、それはもちろん、憲法の表現の自由という規定がヘイトスピーチの盾となっているからです。

3 表現の自由の盾

表現の自由は憲法が保障する基本的人権の中でも王者の地位を占める優越的な権利で、それだけに強力に保護されています。在特会が、朝鮮学校ではなく安倍首相に向かって、「おまえは北朝鮮のスパイ」と公然と罵っても侮辱罪にならないでしょうし、安倍首相が在特会に損害賠償を請求しても認められないでしょう。表現の自由は民主主義の不可欠のデバイスとして強力に保護されているからです。

表現の自由にこのような強力な保護を与える理論的な柱の一つが、思想の自由市場という考え方です。思想、といっても難しいものではなく、人の頭の中にある自由な考えは全て思想ですが、この思想というのは、誰でも自由にそれを社会に示して批判にさらしたり、あるいは話し合いを通じて賛同者を得たりすることにより、真実を明かにしたり、多数意見を形成したりするものとして機能すると考えられています。そして、このような考え方によれば、どのような思想であれ、表に出すことを禁じるべきではないということになり、ヘイトスピーチもここでいう思想の一つで、それを表に出すことで、では本当に特定の人種や少数者集団を社会から排除することが悪いことなのか、それともそうでないのかを社会全体で決定すべきであるということになります。このような考え方の中で、自由市場というのは、どこかにそのような場所があるわけではない観念的なものとして捉えられていましたが、インターネットはまさに思想の自由市場が実体のある具体的な空間として出現したものと言えますから、このような考え方によくマッチします。

確かに、ヘイトスピーチには、特定の人種や宗教、思想を持つ人に対する嫌悪や偏見がその根底にありますから、そのようなものを自由な思想として保護する必要はないのではないかという気もします。また、ヘイトスピーチを自由な市場に出しても、ヘイトスピーチによって攻撃されている人は萎縮して反論できないから、ヘイトスピーチには自由市場は機能しないという考え方もあります。
しかし、市場に出す価値がないから市場に出さないというのは、自由市場という考え方に根本的に反しますし、第三者がヘイトスピーチに反論を仕掛けることにより、真実が明かになったり、社会的な合意が形成されたりすることも考えられます。つまり、ヘイトスピーチにも、思想の自由市場と言う考え方は妥当すると考えられています。また、政府や裁判所が、何が価値のある思想で、何がそうでないかを法律で決定するとすれば、それ自体が、民主主義に反する危険な状態であると言えます。

4 まとめ

このように考えると、ヘイトスピーチを法律で規制しようとすることは実は容易ではありません。結局、ヘイトスピーチは、私たちが民主主義という制度を手に入れたコストと考えるよりほかにないと考えることになるのだと思います。そのような意味では、信用性に幅のある無数の情報がネット上に氾濫する現代において、何が正しい情報で何がそうでないのかを選別する能力を、個人が備えることがますます重要であると言えます。


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