子どもが人に怪我をさせてしまったら(子どもの責任能力と親の監督責任について)

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平成25年7月、11歳の男の子の乗った自転車が散歩中の60代の女性と衝突し、女性が大怪我をした事件で、男の子の母親に9500万円という高額の損害賠償を命じる判決が神戸地裁でありました。子どもは何かに夢中になると、周囲に対する注意が疎かになり、時として大きな事故につながる場合があります。子どもを持つ親としては、子どもの行動に対する十分な注意が必要ですが、24時間子どもの行動を監視する訳にもゆきません。子どもが誤って人に怪我をさせてしまった場合、親は常に損害賠償責任を負うのでしょうか。
昨年(平成27年)、注目すべき判決が最高裁判所でありました。愛媛県今治市で、サッカーの練習をしていた男の子の蹴ったボールが小学校の校庭から道路上に飛び出し、たまたまバイクで付近を通りかかった男性がボールを避けようとして転倒し、約1年半後に死亡したという事件で、男性の遺族が男の子の両親に約5000万円の損害賠償を求めたものでした。一審、控訴審は遺族の請求を一部認めましたが、最高裁判所は一転して請求を棄却し、男の子の両親は損害賠償責任を負わないことになりました。結果の重大性を別にすれば、今もどこかで起こっているのではないかと思えるほどありふれた事件のようですが、この判決は新聞やテレビでも取り上げられ、法律家も注目するものとなりました。この判決にはどのような意義があるのでしょう。

1 子どもの責任能力について

このような子どもの行為によって生じた損害は民法の不法行為法の守備範囲ですが、不法行為が成立する上では、子どもの故意・過失や、子どもの行為と損害との因果関係のほか、子どもの責任能力が問題になります。加害者である子どもが責任能力を欠けば、子ども自身は損害賠償責任を負いません。民法上、責任能力とは「自己の行為の責任を弁識するに足りる知能」と定義され、これは「自らの行為が法的に非難を受け、何らかの法的責任が生ずることを理解する知的能力」であるとされています。人に迷惑をかけたら、償わなければならないことを理解しているということです。
刑法上、14歳未満の少年は一般的に刑事責任能力がなく、この刑事責任能力も「自己の行為の違法性を認識し、それに従って自己の行為を制御する能力」とされ、民事の責任能力と同じような基準に見えます。しかし、刑法が子どもを刑罰ではなく保護の対象とし、14歳を基準として子どもの責任能力を一律に否定しているのに対し、不法行為の責任能力はやや緩やかで、裁判所は12歳前後を基準として責任能力の有無を判断します。民事の場合には、被害者を救済する必要があるため、少年の保護は半歩後退するからです。そして、刑法と異なり、民法の場合、責任能力は年齢により一律に線引きをしない不確定な概念ですから、ボーダーラインの周辺にいる子どもについては、裁判所が責任能力の有無をどう判断するか分からず、子どもは不安定な地位に置かれることになります。27年判決の事件では、男の子は11歳で、過去には11歳で責任能力を認められた事例も存在します。実際、11歳にもなれば、多くの子どもは、「人に迷惑をかけたら、償わなければならないこと」を理解しているでしょう。冒頭の神戸の自転車の男の子も11歳でした。
しかし、どちらの事件でも、裁判所は男の子の責任能力を簡単に否定し、その点についてはあまり多くを述べていません。また、原告の請求も、男の子の責任能力自体についてはあまり問題にしていません。というのも、このような類型の事件では、そもそも小さな子どもに責任能力を認めても被害を弁償する資力がないことから、損害の賠償という観点からは意味がなく、多くの場合、原告は民法714条という条文を根拠に、親に対して損害賠償を請求することになります。そして、そのためには、むしろ、少年に責任能力がないことが必要となるからです。つまり、子どもの誤った行為で第三者が被害を受け、裁判所が被害者を救済しようと思った場合、子どもに責任能力の無い方が実は都合がよく、子どもに責任能力がある場合の方が、かえって厄介なのです。そこで、裁判所は、責任能力の認定をやや人為的に操作していると言われています。そして、子どもの責任能力が否定されると、714条により、非常に高い確率で親が損害賠償責任を負担することになります。

2 親の監督責任(民法714条1項)について

民法714条1項本文は、責任能力を持たない子どもが第三者に加えた損害については、法定の監督義務者が賠償する責任を負うとしています。法定の監督義務者とは、子どもの場合、通常は親権者、すなわち子どもの親であり、親権は父母の共同行使が原則ですから、子どもの両親ということになります。また、同項ただし書きは、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生じたものであるときに監督義務者を免責しています。ただし書きの前半は、両親がしっかり子どもをしつけ、人に怪我をさせたり、人の物を壊したりしないよう教育していた場合の、また、後半は、しつけや教育を欠いたことと損害の発生が無関係である場合の免責を例外として認めたものですが、現在の通説的な解釈では、後半にはあまり意味はないと言われています。
そうすると、責任能力のない子どもが誤って人に怪我をさせたり、人の物を壊したりした場合、両親は原則として損害賠償責任を負わされることになります。そして、監督義務を怠らなかったというただし書き前半の事実については、子どもの親の側にこれを証明する責任がありますが、親がこの証明に成功することはほとんどありません。つまり、例外が適用される場面はほとんどないのです。
そもそも親の監督責任が問題となるのは、子どもの行為が違法なものである場合であって、それにより第三者に損害が発生している以上、たとえ相手が子どもであっても被害者を救済すべき要請は変わりませんから、親の責任を認めない訳にはゆきません。また、監督義務を「怠った」ことの証明は、そのような証明の根拠となる事実を一つでも示すことができれば可能ですが、「怠らなかった」ことの証明は、その根拠となる事実を無限に並べない限り論理的には不可能だからです。このような否定的命題の証明を、法律の世界では「悪魔の証明」といい、非常に困難なものとされています。
このようなことから、親の監督義務は、子どもの行動に対する包括的な監督義務であるとされ、監督義務の内容、程度については実質的な判断はされないと理解されていました。つまり、親は子どものした行為について常に責任を負うことになります。実際、平成27年の判決が出るまで、監督義務を尽くしたことを理由として親の免責が認められた事例は最高裁にはありませんでした。
ところが、平成27年判決は、男の子の両親が監督義務を尽くしたとして、最高裁としては初めて親の免責を認めました。27年判決は、最高裁の従来の立場を変更したのでしょうか。27年判決の事件を具体的に見てみます。

3 「ゴールに向けてサッカーボールを蹴らないよう指導する監督義務」

事故は小学校の放課後の校庭に端を発します。当時、校庭は児童らに解放され、男の子は校庭に設置されたサッカーゴールに向かってフリーキックの練習をしていました。ゴールにはネットが張られ、その後方10メートルの位置に高さ1.3メートルの門扉があり、門扉は閉まっていました。また、門扉の左右には高さ1.2メートルのネットフェンスが設置され、門扉の先には幅1.8メートルの側溝を挟んで道路があり、側溝には橋が掛けられていました。そして、男の子が蹴った何発目かのボールが、門扉の上を超えて橋の上を転がり、道路上に飛び出して事故が発生したのです。道路に向かってサッカーゴールが設置されている点や、ゴール後方の門扉は比較的背が低く、その先は道路と繋がっているという位置関係からすると、フリーキックが外れればボールが道路に飛び出して行ってしまうかも知れないということを全く予測できなかったとまでは言えないかも知れませんが、男の子は殊更に道路に向かってボールを蹴っていた訳ではなく、事故は不幸な偶然とも言えます。
このような事実関係の下で、一審の地方裁判所は、男の子の両親は、男の子に対しこのような場所では「ゴールに向けてサッカーボールを蹴らないよう指導する監督義務」があり、両親はこの義務を怠ったと認定しました。「ゴールに向けてサッカーボールを蹴らないよう指導する監督義務」です。日本語としてやや無理があるように思われますが、控訴審の高等裁判所もこの判断を支持しています。
しかし、この判決は男の子の両親の納得のゆくものと言えるでしょうか。放課後の校庭に大人の手で設置されたサッカーゴールがあり、活発な11歳のサッカー少年が練習をしています。事故は2月の午後5時に起こっていますから、周囲は既に暗くなり始めていたかも知れませんが、同じ校庭では少年野球のチームも練習していましたし、校庭の周囲は田畑で、ボールが飛び出した道路も交通量は少ないものでした。小学校には、施設の管理者として教職員もいました。
男の子の両親の上告を受け、最高裁は、男の子の行為は「人の身体に危険が及ぶような行為であるとはいえず、親権者の直接的な監視下にない子の行動についての日頃の指導監督は一般的なものにならざるを得ないから、通常は安全であるはずの行為によってたまたま人の身体に損害を生じさせた場合は、子に対する監督義務を尽くしていなかったとすべきではない」と述べました。そして、男の子の両親は、危険な行為をしないよう日頃から男の子をしつけていたことから、両親に監督義務違反は認められないとしたのです。
先に述べましたように、この判決が出るまで、最高裁が714条ただし書前半を根拠とする免責を認めた事例はありませんでしたから、そのような意味では、画期的な判決であるとも言えます。しかし、この判決にはいくつかの見方があり、その意義はいまだ定まったものとは言えません。

4 平成27年判決の意義

先ず、不法行為が成立するためには、子どもの行為が違法なものであることが必要で、判決は男の子の行為の違法性を前提にしていますが、この事件では相当に微妙です。
不法行為における違法性とは、被害の性質と加害行為の態様から相関的に判断される概念ですが、11歳の活発な少年が、放課後使用の許された小学校の校庭で友達とサッカーの練習に興じるのは、本来無害な、「通常は安全であるはずの行為」です。つまり、この事件における「加害行為の態様」は、普通であれば非難されるようなものではありません。
また、この事件の場合、被害者の男性は85歳ですが、多くの都道府県で免許証の返納を奨励する65歳をはるかに超えていますし、男性が乗っていたのは操縦に高度の身体能力と反射神経を要する乗物でした。更に、男性の直接の死因は、事件から1年半後の入院中に生じた誤嚥(ごえん)性の肺炎、つまり、食べ物を正しく飲み込むことができなくなることにより細菌が肺に入って肺炎を発症したことによるもので、裁判所は、男性がもともと有していた脳病変が、事故後の入院を契機として悪化し、これに伴う嚥下障害から肺炎を発症したとして、事故と男性の死亡との間の因果関係を認めていますが、男性は入院翌日には早くも軽度の痴呆症状を示しており、因果関係の認定としては、かなり限界的な事例ではないかと思われます。なお、男性が転倒した際、頭部には衝撃を受けていないことが認定されています。したがって、男性やそのご家族には大変気の毒な話ではありますが、「被害の性質」にも、男の子の行為の違法性を否定する要素があります。
他方、子どもに対する親の監督義務にも限界があります。子どもの生活のあらゆる場面を想定して、絶対に事故が起こらないようなしつけや教育を行うことは不可能でしょう。法律は不可能を求めません。
この事件でも、下級審では、男の子の親は、「ゴールに向けてサッカーボールを蹴らないよう指導する監督義務」があるとされましたが、放課後の校庭に大人の手で設置されたサッカーゴールがあれば、親としてはそれが安全に設置されたものであると信じて疑わないでしょう。男の子の両親は、日頃から男の子に対して、通常の親として期待される程度のしつけをしていましたが、そのような状況でボールが道路上に飛び出し、たまたま通りかかったバイクの高齢者に怪我をさせることまで考えてサッカーボールを蹴ってはいけないと指導するとすれば、男の子に対してサッカーを禁止するのと変わりません。不法行為の違法性は被害の性質と加害行為の態様から相関的に判断されると述べましたが、監督義務を尽くしたかどうかについても、子どもの行為の性質と、子どもに対する監督の内容が相関的に判断されます。子どもの行為が冒頭の自転車による暴走や、火遊びのような危険なものであれば、監督義務の内容も相対的に高度なものが求められますが、この事件で、男の子にサッカーボールを蹴ってはいけないと指導するには無理があります。
このように考えると、判決は、この事件の限界的な性質を捉え、ごく普通の人の感覚として素直に腑に落ちる結論を、従来の判断枠組みの例外として導いたものであると考えるのが自然で、従来の立場を変更したとまでは言えません。判決が「通常は安全であるはずの行為によってたまたま人の身体に損害を生じさせた場合」と留保を付けていることにも、そのことがうかがわれます。「子どもの責任能力が否定されると、714条により、非常に高い確率で親の損害賠償責任が認められる」という事実に変わりはないと考えられます。

5 まとめ

冒頭で紹介した自転車の事故で、男の子はスイミングスクールから帰宅する途中でした。「通常は安全であるはず」の男の子の日常です。しかし、男の子は、夜間、下り坂の道路を20キロから30キロという、自転車としてはかなりのスピードで、しかも道路の右側を疾走し、路側帯をゆっくりと散歩していた女性に正面から衝突しています。男の子の母親は、日頃から安全に自転車を運転するよう男の子を指導していたと主張しましたが、男の子の自転車の運転の仕方は、およそ安全とは言えないもので、文字どおり「人身に危険が及ぶもの」と見られる行為です。男の子の母親は、自転車に乗るときにはヘルメットを着用するよう男の子に指導していたとも主張しましたが、男の子はヘルメットをかぶっていませんでしたから、母親の指導が本当に行き届いていたかどうかも分かりません。27年判決の事案とは異なります。
子どもを持つ親としては、子どもの行動に対する十分な注意が必要と述べましたが、どんなに注意しても、事故は起こるときには起こってしまいます。事故が「事故」たる所以です。しかし、親の損害賠償責任は、親の行為を事後的に評価して判断されるものですから、日頃から適切な指導・監督を積み重ねているという事実が非常に重要です。そして、そのような親のしつけや教育が、たとえ「人に迷惑をかけてはいけない」というような、ごくありふれたものに過ぎないとしても、それなりに子どもの心に届くものであれば、子どもの行為の危険性が問われるような不幸な事故も、自ずと減ってゆくのではないでしょうか。