新しい論点を含む難事件が大好き。「会社員の味方専門」の労働弁護士 / 光永 享央 弁護士


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西鉄天神大牟田線の特急停車駅、薬院駅から徒歩圏内、福岡市の幹線道路のひとつである城南線沿い、地銀の高層ビルの中に光永法律事務所は入っている。

さぞかし、エリート然とした弁護士が出てくるに違いないと、覚悟して待っていると、その情熱的で陽気で超常現象好きのキャラクターに拍子抜けさせられるかもしれない。

今回は、光永法律事務所代表 光永享央先生にお話を伺った。

きっかけは、一冊の新書

– どのような経緯で弁護士になられたのでしょうか。

大学では社会学部に入っていたのですが、社会のことなど全く考えない、競馬と麻雀ばっかりやってるダメ学生でした(笑)

– ある意味で正当派の学生かもしれませんが(笑)

マスコミ志望だったのですが、特に努力することもなく、ただ単に華やかな世界に憧れていただけでした。就職活動の結果、最終的に某通信教育企業に入社しました。

ただ、そこで新入社員として直面したのが、過重労働の問題です。配属されたのが新規事業を開発する部署だったこともあり、前例がないことをやる混沌とした部署でして、多いときで月100時間ぐらいの時間外労働になり、疲弊してしまいました。

– 相当マズいですね。今の基準だと過労死ラインと言われています。

そんなときに書店で出会って手に取ったのが、弁護士の川人博先生の『過労自殺』(岩波新書)という本です。それを読んだ途端、号泣したんですよ。

– 他人事とは思えなかったんですね。どういった点が涙を誘ったのでしょうか。

過労を苦に自殺するときの遺書に、会社を恨む言葉が書かれていないという点です。「プロジェクトを途中で投げ出して申し訳ありません」といった後悔の念と謝罪が綴られていると。それぐらい真面目な人が、うつ病にかかって自殺するわけですね。

なんということだろうと思いました。最期の最期ぐらい、本音をぶちまけてもいいじゃないですか。しかし、自分を責め、会社に対する謝罪を書いてしまう。

自分はこんな死に方は悲しすぎて嫌だ、と率直に思いました。でも「今のままでは、いつか自分もこうなる」とも悟ったんです。明日は我が身だと。

それで決心したんです。会社を辞めようと。川人先生のように、過労死や労働問題に取り組む弁護士になると。

翌日、当時の僕の上司に報告したんです。「弁護士になります」と。

そしたら爆笑されました(笑) 「光永、お前の今までのギャグの中で、最高に面白い」と言われたんですが、「いや、違うんです、ギャグじゃないんです」と説明しました。

– 話だけ聞いてると、悪くない職場のような気がするんですが(笑)

いえ、真剣に弁護士になりたかったのに、話が通じてないんですよ(笑) まあ、その上司から仕事の仕方とかスケジュール管理術とかいっぱい教わりましたけど。

当時は法科大学院構想が具体化し始めた頃で、上司からは会社を辞めずに法科大学院ができてから通えばいいじゃないかと勧められたんですが、どういう制度になるかよくわかりませんでしたし、一刻も早く弁護士になりたかったので、従来からの司法試験に挑戦しました。結果として、運良く3回目で合格しました。

じつは、受験生の頃から労働法の本を買いそろえていました。だけど試験科目じゃないので読んでる場合じゃないんです。「合格したときに読もう」と思って、本棚に差したままになっていたのですが、もう読みたくて読みたくて、禁断症状のようなヤバい感じになっていまして(笑) 合格が決まったときには、むさぼるように労働法の本を読んだものです。

また、合格後、川人先生の講演を聞きに行き、その後の懇親会でドキドキしながら「先生、合格しましたよ!」と満を持して報告しました(笑)

– (笑)知らないですよね、川人先生。

そうなんです。「君、誰だっけ?」って言われまして(笑) 一方的にこっちが川人先生のことを知ってただけだったので、川人先生の本がきっかけで、その導きで弁護士を目指して合格できたんですと熱く語ったところ、「よくわかんないけど、うちにバイトに来るか」と言ってもらえたんです。

– おお、語ってみるもんですね!

それで、司法修習が始まるまでの3~4カ月ぐらい、アルバイトをさせてもらいました。川人先生とは、過労死弁護団という団体を通じて普段から指導していただき、心から尊敬しています。