「少年だけでなく、自分も変わった」 家庭裁判所調査官からの転身 / 稲谷 陽一郎 弁護士


このエントリーをはてなブックマークに追加

JR博多駅、筑紫口から徒歩圏内に、いなたに法律事務所がある。代表の稲谷 陽一郎先生は、家庭裁判所調査官としての職務経験がある弁護士で、そのような経歴を持つ者は大変少ないという。
取材中にも、たびたび「これでいいんでしょうか」「こんな面白くない答えで、大丈夫ですか?」と、腰が低く控えめな応対をなさっていた先生だったが、そんな中にも「人の働きかけで、人は必ず変われる」という強い信念を感じさせるインタビューとなった。

調査官の仕事とは

– もともとは家庭裁判所の調査官でいらっしゃったのですね。

はい、もともと、学生のときに司法試験の勉強をしていたことがあったんです。ただ、家庭の事情もあったので、浪人はダメだと。ちゃんと職に就きなさいということで、家庭裁判所の調査官の試験も受けました。一人一人に裁量が与えられた仕事で、勉強した法律の知識も活かせるということで関心を持ちました。その頃は、司法試験は論文で落ちたのですが、家裁調査官の試験には合格することができ、拾っていただきました。

今は転職しているので、こんな話をするのも説得力がないかもしれませんが、調査官の仕事というのはとてもユニークで、やりがいのある仕事であったなあと思っています。

– 今も良いイメージが残っていらっしゃるんですね。ただ、その話の前に、まず家裁調査官というのはそもそもどういうお仕事かというところからお聞かせいただけますでしょうか。時折耳にする職種ですが、いざ具体的にイメージするとなると、掴みにくいところがあります。

まずその名のとおり、家裁調査官は家庭裁判所にしかいません。普通の地方裁判所には配置されていない。これは、家庭裁判所の役割や機能の問題によります。

家庭裁判所は家事事件と少年事件を取り扱いますが、これは地方裁判所の民事事件と刑事事件にそれぞれ相当します。では、何が違うかというと、民事と家事の比較で言えば、要は、裁判所として、当事者の戦いに任せきりにしないということ。つまり、民事事件だと、勝つも負けるも当事者次第、きちんと主張立証できた方の勝ちで、極論すれば、大事なのは「真実」よりも裁判の進め方と言えます。裁判所は、当事者が出してきた料理がどっちが旨いか判断するだけなので。しかし、家事事件では、当事者に任せきりにしてしまうと、審理の中身が「真実」と違っていて、例えば子どもとかがえらい目に遭ってしまうかもしれない、それはまずい。なので、裁判所も当事者任せばかりにはせず、職権で家庭の事情をいろいろ調べていこうということになっていきます。
他方、刑事と少年の比較で言えば、刑事ではやった罪の重さ、つまり「目には目を、歯には歯を」という考え方が中心になっていきますし、具体的な立証も検察官任せです。これに対し、少年事件の場合は、きちんと立ち直って欲しいという観点が強くあるので、犯罪事実だけ見ていても始まらない。なので、少年事件では、家庭環境や生育歴などの背景事情を職権でいろいろと調べていく必要があるということになっていきます。

まとめると、家庭裁判所が扱う事件は、地方裁判所が扱う事件と異なり、裁判所が主体的に調査をしていく必要がある場合が出てきますが、調査官は、その「調査」の役割を担っている官職だということになります。

– 「調査」という役割を担う家庭裁判所にしかない職種だということなんですね。では、さきほどのお話に戻って、調査官のお仕事はどういう点がユニークなんでしょうか。

申し上げた「調査」の仕事ですが、結局、これは背景事情にどれだけ迫れるかというものだと言えます。しかし、それは当事者や少年が抱える闇の部分であったりする場合が多いので、知られたくないし、見たくないし、そもそも知らず知らずの内に気持ちに蓋をしていて、意識化自体されていないという場合も少なくありません。ですので、そこに迫ろうというのは、実際にはなかなかに難しく、そうした意味で、法律家とはまた違った実務能力が必要と言えます。「理屈」だけでなく、人の痛みや気持ちを感じ取る「感性」もかなり重要といいますか。感性云々とかいう仕事なんて、他にはあんまりないですよね。

ただ、特殊な資質がなければできない仕事だと言っている訳ではなく、大事なのは、相手を尊重する姿勢であったり、そうした「負」の部分を聞かせてもらっているという謙虚な態度なのだろうとは思います。それを意識できるかどうかで、中身がかなり変わってきますから。

それに、「感性」ばかりがクローズアップされてしまうと、判断が調査官個人の志向や経験に左右されてしまいかねません。何故その少年がこのような非行を犯したのか、何故この家庭はこのような状況にあるのか、一般の普通の人が、調査官の説明を聞いて、理解できる、納得できるという内容にまで分析できていなければなりません。その意味では、「論理性」も必要と言えますし、「感性」についても、基準とすべきは決して自分自身ではなく、一般人や常識であるということになってきます。

こうした本質的な構造については、自分も理解することはできていましたし、何よりこうしたメカニズムを解きほぐしていくような作業自体も結構好きでした。だから、何となく良いイメージが残っているんだと思います。

「責任を取れ」だけでは、物事は解決しない

– 家裁調査官としての職務経験から、何か特別に学んだり思い知ったりしたことはありますか。

そうですね。「人間には可塑性がある」ということでしょうか。

– 人間は変われる、ということですね。それは、心が成長して犯罪から立ち直りやすい少年たちに関わった経験からでしょうか。

はい、まあそれもそうなんですが、可塑性があると感じたのは、主には自分自身のことを言っているといいますか…。

– どういうことでしょうか。

家裁の調査官を務めたことで、私自身の考え方が変わったんです。調査官になる前は、テレビや週刊誌などのマスコミ、あるいは現在の社会の流れと同じように、犯罪を犯した少年には厳罰を与えるべきだ、そのほうが正しいのではないかと素朴に考えていたんです。

中学生ぐらいになれば、物の善悪ぐらいわかるだろうと。許されない犯罪を犯したのなら、責任は取らなきゃいかんやろうと思っていたんです。


こんな記事も読まれています