著作権や商標権を中心にアーティストの権利を守る / 紺野 礼央 弁護士


このエントリーをはてなブックマークに追加

今回は東京都中央区銀座の銀座一丁目駅10番出口を出て、徒歩2分にある小野・紺野法律事務所にお邪魔いたしました。
インタビューを受けていただいたのは知的財産権や相続問題を主たる取扱分野として活躍されている紺野礼央弁護士
生い立ちから今後の活動に対する想いなどお話していただきました。

そもそもの原点は創作活動

かかりつけの弁護士をめざして

学生時代は吹奏楽に明け暮れていらっしゃったとか?

はい。中学に入ると吹奏楽部に入部しました。クラリネット担当だったんですけど、演奏がとても楽しくて、直ぐにのめり込んでしまいました。高校は、演奏の技術をさらに磨きたいという理由から、吹奏楽コンテストやマーチングで全国大会に出場したことも何度かあった兵庫県の明石北高校を選びました。
高校時代はどっぷり吹奏楽に没頭しました。現在でも吹奏楽部の仲間と色々な演奏会に参加しています。参加者同士は練習で初めて会うということも多いのですが、演奏会に参加することで仲良くなったりと、吹奏楽のおかげで、人との繋がりが広がっていっていると感じています。

私は小さい時から目が悪く文字が多いものを読むのが苦手だったのですが、絵本やマンガが好きで、小学校の時には紙芝居や漫画のキャラクターの絵を描いて友達に見てもらったりしていました。もしマンガ同好会のような部が地元の中学校にあれば、そちらに進んだかもしれませんね。まあ、なかったので吹奏楽部に入りのめり込むことになるんですが、実は部活の傍ら、創作活動も続けていました。ある時絵を描くことよりも、ストーリーを考えることが好きだということに気づき、ストーリーを考えて、友達に聞いてもらう、そんなことも続けていました。
それで高校2年生の時に、両親に進路について相談しまして、漫画原作家や脚本家になろうかと思うというようなことを話したんですけど、「それは中々難しいのでは。。。?」という反応をされました。これまで自分のすることにほとんど反対をしなかった両親がそういうことを言ったので、『きっと現実は厳しいんだな。もっと真剣に将来について考えよう』と思ったことを今でも覚えています。それで、漫画原作家や脚本家の道は一旦諦め、別の道に進むことを考えるようになりました。

– なぜ弁護士になろうと思われたのですか?

進学をどうしようかと考えていたときに、自分自身が創作するのではなく、弁護士や弁理士として創作家の権利を守ることができれば、やりがいがありそうだと考え、その方向を考えるようになりました。
京都の雰囲気やお寺が好きだったので、同志社大学の法学部に進むことを決めました。同志社大学の吹奏楽部では引き続きマーチングに没頭し、4回生ではドラムメジャーとしてコンテやシナリオなどを企画していました。
学業の方では、大学2年生になると、弁理士になるために知的財産のゼミに入り著作権や商標権,特許権などを中心に勉強をしていました。でも勉強すればするほど気づいたことがありました。知的財産のことが分かっても、民法やその他の法律が理解できていないと、弁理士としては到底活躍できないなと。それでそのころから弁護士を意識するようになりました。そして大学卒業後に法科大学院へ進学して、現在に至ります。

– 勤務弁護士時代はどのような分野を取り扱っていましたか?

弁護士としてのキャリアは、中小企業の法律顧問業や離婚や相続、交通事故など一般民事の案件を中心とした法律事務所でスタートしました。顧問先から契約書のレビューの依頼や法務相談などを受け、慣れないながらも懸命に対応していました。幅広い案件に携わらせてもらい、多くを学ぶことができました。