当事者目線で紛争の解決や予防に携わりたいと思い、裁判官から転身 / 小野 航介 弁護士


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今回インタビューさせていただいたのは東京都中央区銀座にある小野・紺野法律事務所小野 航介 弁護士。横浜地方裁判所の裁判官を経て、2016年の春から弁護士活動を始め、裁判官時代に数多く対応した交通事故など民事訴訟の経験を活かしつつ、予防的法務にも精力的に活躍されている。今回のインタビューでは裁判官時代に感じた想いや、生い立ち、今後の活動に対する想いなどお話しいただきました。

好奇心旺盛な少年時代

小野 航介 弁護士

– 生い立ちや学生時代のお話をお聞かせください。

自営業の両親に横浜で育てられました。親戚に弁護士などがいるわけでもなく、特別誰かから弁護士を目指すように言われるといったことはありませんでしたが、漠然と道理が通らないことが嫌いという思いもあり、小学校の卒業アルバムには将来の夢として「弁護士」と書いていました。もっとも、子どもの頃は社会よりも数学の方が好きで、中学の時などは数学科の教員室に入り浸る毎日でした。その後、心理学者、精神科医など、人の悩みを取り扱う領域に興味を持ち、結局、大学では法律を勉強することにしました。

– 以前は裁判官を務めていたとお伺いしましたが、どういった経緯でしょうか?

勉強するからには、法律を使って仕事をしたいと思っていたため、司法試験を受験することにあまり迷いはありませんでした。当時は制度の過渡期で、現在ではロースクールというところに通わないと原則的に司法試験が受験できないようになってしまったのですが、私が大学を卒業した年はそのような制限のない司法試験が実施された最後の年でした。この年に合格しなかったら、経済的な負担もあり法曹になることは難しいと思っていたので、かなり必死で勉強しました(笑)。司法試験に受かると、司法修習といって、各法曹界で研修の機会を貰い、それで最終的に進路を決めることになるのですが、私はその修習期間中に、担当の裁判官の方にとてもお世話になり、緻密な争点の整理や審理の進行におけるリーダーシップに惹かれ、裁判官の道に進むことを決めました。

多忙であるも充実していた裁判官時代。

判事補として横浜地方裁判所に赴任することになり、私はここで民事事件の中でも特に交通事故の事件を中心に担当する第6民事部に所属し、約3年半執務しました。私が担当していた事件は交通事故事件とその他の民事事件が半々くらいで、多い時で100件弱程度でした。人身事故事件などでは精査すべきカルテの量が膨大となることなどもありましたが、ベテランの先輩方は常時150件ないし200件もの案件を担当されていましたから、それに比べると私などはだいぶ余裕を持たせて頂いて、十分に調査検討する時間を与えられていたと思います。また、裁判官の合議では、裁判長でも新任の判事補でも対等の発言権を認めてもらえますので、担当している事件について何時間でも自由に議論することができ、そういう意味でも充実していたと思います。
一方で、事件というのは、トラブルになった事案の中でも、折り合いがつかずに、最後の最後で訴訟に発展しているケースが多く、裁判官は、そこに至った経緯や、裁判終了後の関係まですべて把握できるわけではありません。裁判官も当然、紛争の実態の把握や抜本的な解決に向けて尽力しますが、どうしても訴訟を提起した真意がわからなかったり、判決が必ずしも事件の解決になるとは思えなかったりすることもあります。中には、『どうしてここまでもめてしまったのだろうか?』と思わざるを得ない事件にもいくつか遭遇し、裁判官とはまた違った形で、紛争の解決や予防に関与してみたいという気持ちも生じました。
また、交通事故に限らず、犯罪被害者の損害賠償事件や、刑事事件を担当する機会を頂いたこともあり、裁判所の外には、法律知識のない被害者が自力で弁護人、捜査機関、保険会社などとやり取りをしなければならないといった状況があるといったことにも思い至りました。