導かれるように使用者側の労働問題に注力し、『頼れる弁護士』へ / 別城 信太郎 弁護士


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3年前に竣工した宇治電ビルに事務所を構える、鳩谷・別城・山浦法律事務所の所長 別城信太郎弁護士にお話を伺った。別城先生は、三十余年、使用者側の労働問題中心に注力され『週間ダイヤモンド』(2014年12月20日号)においては「頼れる労働問題(経営側)弁護士20人」の1人に選ばれた弁護士である。インタビューでお聞きした内容は、これまでの弁護士としての軌跡、そしてその経験を踏まえた、後進となる若手弁護士に対するメッセージのような内容になった。

特に労働事件は依頼者との信頼関係が最も重要

– 先生の注力分野は、労働事件の使用者側ということなのですが使用者側に特化する理由をお伺いできますでしょうか。

はい。まず、弁護士は依頼者の悩み事に心情的に一体化してしまう傾向がありますし、実際問題事件の解決に向けて、ある部分一体化できていないと良い解決を導くことができないと考えています。特に労働事件というのは、他の案件なんかと違って、もっとドロドロしたものというのが多いので、労働者側もやりつつ、使用者側もやるというのは非常に難しいだろうということで、労働事件においては使用者側に特化しています。

– ありがとうございます。そして、使用者側の労働事件であっても、インターネットなどによる飛び込みの相談はお受けにならないとお聞きしました。

先程も申し上げましたが、労働事件というのは、貸金の回収などと違って、もっとドロドロしたもので、依頼者との信頼関係が非常に重要だと考えています。労働事件の場合、裁判まで行くと、これまで裁判所は概して労働者側の擁護をする傾向にありました。ですので、立つ土俵が傾いた状況の中で戦わなければならないとも言え、そういうことから依頼者との信頼関係というのが非常に重要になってくると考えています。そうなると、『あそこの弁護士は安い』とか、『最初の相談は無料ですか?』と、そのような形で相談に来られても、そのような前提ではなかなか信頼関係を築くのが簡単ではないという風に考えるようになりました。
間口を広げることによって、逆に依頼者の方も嫌な目をするかもしれないし、あるいはこちらも嫌な目をするかも知れないし、ということで、インターネットなどによる飛び込みのご相談は、お受けしていないという状況です。

– それでは、新規のクライアント募集など宣伝のようなことはされていないのでしょうか?

有り難いことに、非常に多くの企業様からの顧問の仕事を頂いていまして、現状、顧問先のご相談に100%コミットしております。
ただし、先日も知り合いの弁護士の先生で、乗降する駅も同じ先生なんですけど、「君ね、そうは言うけど、宣伝せざるものは滅びるよ!」なんて言われまして(笑)。一定の合格者数で守られた時代では良かったのかも知れないけど、1500人−2000人の時代では中々そういうことを言っていても、難しいかもしれませんね。

先輩のアドバイスに従って、使用者側の労働問題の大家(別城先生は週刊ダイヤモンド「頼れる労働問題(使用者側)弁護士20人」に選出)に

– ありがとうございます。少し遡りまして、弁護士を目指したきっかけについてお聞かせ頂けますか?

これは記事にもならない何の面白みも無いのですが、父が弁護士をしていましたので、母親から「あなたも弁護士になるのよ」と言われ育てられました。その父も早くに他界したこともあって、弁護士になることに迷いなどありませんでした。妻からも「貴方は、サラリーマンなんて絶対になれない。自由な弁護士で良かったわね」なんて言われています(笑)。

– 最初に入所された事務所で、先生のご専門が決まったとか。

司法修習は大阪で受けたのですが、当時は、未だ弁護士になる人間が少なかったこともあり、他の修習生も同じだと思いますが、いくつかの法律事務所よりお話を頂けました。それで私が修習先の先生に相談したら、ここに行きなさいと仰るので、自分としては「ここに行くんや」と迷いなく、お世話になることにしました。根が単純なんですね(笑)。

– ということは、使用者側の労働問題をやろうと決めていらした訳ではないのですね?

具体的に、どの分野に注力しようというのはありませんでした。修習先の先生が『ここに行きなさい』と仰った弁護士事務所が、労働事件の使用者側をする事務所でした。その事務所も何をしても良いけれども、労働事件の労働者側は禁止だと言われて、そのときはそういうもんなのかな?と思いましたね。
幸いなのは、当時は、労働者を救済したいがために弁護士になった人はそれなりに居ましたが、使用者側の事件をするというのは変わり者みたいな風潮はありました。そういう意味で言うと人数的には恵まれていましたよね。更にあの時代は、未だ、労働法制も牧歌的な時代で、今のように、技術的且つ頻繁に立法が出てくるような時代ではありませんでした。昨今のように、法改正が頻繁に行われると、それをある部分専門にして立法を追いかけていかないと、追いつけない形になりますから、出発点からその分野に入って、特別志したわけではないけれども、見よう見まねでやっていく中で、更に、ここ最近は技術的になってきましたから、一つの専門分野として、確立していくことができたのだと思います。偶々、運が良かったというか、恩恵を受けたということなどだと思います。

– 当時は使用者側の労働問題を扱う弁護士というのは少なかったと仰いましたが。そういう状況の中で迷いは無かったのでしょうか?

自分の父親は憲法改正されるまでは年賀状を出さんという考えの人間で、その父の元で育ちましたので、使用者側の労働事件というのは多少波長が合う感覚はあったと思います。若い内から講演などのお話を頂くのですが、今にして思えば、当時使用者側の労働問題に携わる弁護士が少なかったんです。なので、数で勝る労働者側の弁護士からはよく叩かれましたね。でもそういう時代背景もあって、使用者側の労働問題に注力していくようになるんです。