難民認定の申請や国外退去強制への異議など、「外国人の人権」問題に注力 / 児玉 晃一 弁護士


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小田急線と東京メトロ千代田線が乗り入れる、代々木上原駅から徒歩5分ほどで到着するマイルストーン総合法律事務所児玉晃一弁護士は、一般的な民事・刑事事件を扱いつつ、特徴的に注力しているのが「外国人の人権」に関する法律問題だ。この問題を通じて見えてくるのが、日本の入国管理局の現状である。
事務所名は、敬愛する「ジャズの帝王」マイルス・デイヴィスの楽曲『マイルストーンズ』から取ったという。

2001年「アフガン難民事件」で多忙を極める

– こちらの事務所の特徴的なところとしては、外国人の人権問題を多く扱っている弁護士が複数所属している点かと思うのですが、どういったきっかけで始められたのでしょうか。

司法修習生の頃に指導を受けた千葉県の弁護士が、この外国人問題に非常に熱心に取り組んでいる方でして、入国管理局に連れて行ってもらったり、外国人従業員の労災が発生した職場を目の当たりにして、この問題に関わるようになっていきました。

– 具体的にどういった問題があるのでしょうか。

たとえば、農村の花嫁として来日した外国人女性が家庭内で虐待を受けて、都内まで逃げてきて、あてもなく彷徨っているところを、教会に保護された、そんなケースにも接しました。日本社会でこういう現実があることを、当時はまったく知らなかったので、衝撃を受けましたし、「うちの先生が千葉から都内まで来ているのに、都内の他の弁護士は何をやってるんだろう」とも思いました(笑)

– そうして、プロとして弁護士活動を始められて、ご自分でもこの分野に積極的に取り組みたいと思われたのでしょうか。

そうですね。弁護士会で主催していた、外国人を対象にした法律相談を受け持ちまして、中国人同士の離婚問題で、夫には日本の在留資格があったのですが、妻は在留資格を持っておらず、離婚したら中国に帰らなければなりません。その弱みを突いて夫は妻を精神的に追い詰めていたわけです。

– 「俺の言うことを聞けなければ、帰れ」という感じでしょうか。

奥さんから相談があったときには、夫とは別居中だったようですが、性交渉は1週間前にもあったというので、そんなにこじれていないのかと思っていました。しかし、実際は強引にさせられていたんですね。奥さんの立場がものすごく弱いんです。

これは、初めて接した生の事件でしたので、今でもはっきり覚えています。

– ほかに、今までで印象に残っている事件は何でしょうか。

2001年のアフガン難民の事件です。あのときはすごく忙しく、1年近く、1日も休まずに仕事をしていました。

児玉 晃一 弁護士

– どういった事件でしょうか。

タリバン政権に迫害されたハザラ人が、アフガニスタンから日本に逃げてきたのですが、難民申請をしている間に、9.11のアメリカ同時多発テロが起きたんです。それで日本国内でも、タリバンやアルカイダの探索が始まりまして、その難民認定を申請していたハザラ人のひとりが、たまたまアルカイダの幹部と同姓同名だったので、怪しまれて、他の人も含めて9人が拘束されてしまったんです。それも、日本でいえば「鈴木いちろう」みたいな、よくありそうな名前なんですよ。

– 逃げてきた先の日本で捕まるんですから、悲劇ですね。犯罪者あつかいですよね。

不法入国ということになりました。

– まさに冤罪のようなことですね。

もしも本国に帰されたら、タリバンに捕まって殺されてしまいます。収容令書の効力が長くて60日なんです。弁護団を組みまして、こちらも早期釈放を求めている手前、急いで裁判の準備を進めました。通常は1~2カ月はかけるところですが、10日間で9人分の訴状を書き上げました。

– 凄いことですね。

そして、裁判所もその意思に応えてくれまして、申し立てから20日で、5人の釈放を決めました。ただ、民事2部と3部の、2つの裁判体に分かれて審理されたんです。

– これは、急ぎの案件なので、2つの部で手分けしようということですか。

いえ、9人いっぺんに訴状を提出したのですが、案件が自動的に配転されるんです。それで、民事2部で審理された4人のほうは、収容令書の執行停止が認められず、拘束されたままだったんです。その翌日に、3部で審理された5人について解放が決まったんですけどね。

– 何が運命の分かれ目だったんでしょうか。

まったく同じことを主張したのですが、判断する裁判官が違うだけで、結論がこうも変わってしまったんです。

– 当時、民事3部にいらした藤山雅行裁判長は、法曹界で有名な方ですね。原理原則に忠実といいますか、それで世間を騒がせることもありましたけども。

そうです。特別な存在ですね。

– 藤山さんが担当でなかったら、難しかったでしょうか。

まず、執行停止は出なかったでしょうね。藤山裁判官にとっても初めてだったはずです。

収容令書の執行停止が認められたのは、過去、昭和44年に1件あっただけで、これが史上2件目でした。それ以降、現在まで認められたことはありません。

– 最初から9人全員を民事3部で審理すればよかったんでしょうけどね。

そうです。当事者も納得いっていないようでした。

今も、藤山裁判官は名古屋高裁で、さまざまな地裁の判断をひっくり返しているところです。現在の東京地裁の行政部の裁判官は、おしなべてひどいですね。

– 同じ事件なのに、裁判官によって結論が変わるって、日本ってどんな国かって思われますよね。それでも、過去2回しかない画期的な決定に関わっていらっしゃるのですね。

国は驚いたのだと思いますが抗告をし、解放された5人について高裁では逆転で国の主張が認められ、再収容が決まりました。

弁護団は、また別の手段で釈放を求めて、結果として翌2012年3月に、7人の身柄を解放することができました。でも、その決定も高裁でひっくり返ったんですね。

最初依頼者は9人だったのですが、裁判に取り組んでいるうちに、当時、十条(東京都北区)と牛久(茨城県)の収容所にいた人も加えて、同様の申し立てをして釈放を求める人が約30人にも膨らみました。

– これは大変ですね。パンク状態ではありませんでしたか。

弁護団内部でも、どこまで引き受けるかで意見が分かれ、揉めました。人員も足りませんでしたし、裁判費用もどこからも出ないしで、大変なのですが、話すら聞かずに見捨てるわけにはいかないということで、弁護団のひとりが直接、収容者との面会に行ったんですね。

それで、実際に事情を聞くと、放置するわけにはいかないという結論になりました。それが12月24日のクリスマスイブの日だったんですが、翌25日で出訴期間が切れてしまう人がいまして、緊急に1日で訴状を書いて裁判所に提出しました。とりあえず体裁だけ整えて出して、細かいところは後で補充すればいいと考えたんです。