社会に隠れた「障がい者の法律問題」を救い出す、全盲の法律実務家 / 大胡田 誠 弁護士


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大胡田 誠 弁護士

– 大学生のころに、竹下先生に初めてお会いしたんですね。

はい、事務所にお邪魔しまして、とても精力的で、10人ほどのスタッフに指示しながら、縦横無尽に活躍させているのを知って、これは凄いなと。ますます憧れが強くなりました。

– 何かサークル活動はなさっていましたか。

自分自身がサポートされたりすることが多かったので、私も誰かのサポートをしたいと思いまして、ボランティア活動として児童養護施設へ行って、子どもたちに勉強を教えたり一緒に遊んだりしていました。

– 点字の司法試験というのは、竹下先生のころにできたのですか。

そうですね、竹下弁護士が受験生の頃に認めさせたものです。私が最終合格したのは、いわゆる新司法試験ですが、とにかく問題の分量が多く、点字だと4日間の試験では問題文を読むだけでも大変で、とても太刀打ちできないんです。

– 試験時間はどうなるんですか。

時間延長がありまして、短答試験は通常の2倍、論述試験は1.5倍となっているんですが、4日間で36時間30分です。

– そんなの、集中力はなかなかもたないですね。

なんとか切り抜けましたけどね(笑)
ただ、それでも点字だけだと厳しいので、パソコンを使わせてもらえないかと交渉しました。問題文を電子データにして、音声で自動的に読み上げてもらうことを認めてもらったんです。あの段階では、おそらく画期的なことだったと思います。

– そういうことも許可されたんですね。司法試験委員会の側も、大胡田先生のようにハンディキャップを持っている方が法律家になることに意義があると思っていたんでしょうか。

そうですね。法科大学院も慶応に進んだのですが、教授も積極的にサポートしてくださって有り難かったです。司法試験委員の先生方へも、こういう障がいのある学生も適切な配慮さえあれば、しっかり司法試験を受けられるのだと伝えてくださいました。

– 就職活動はいかがでしたか。

ちょうど、弁護士の就職難が指摘され始めていた頃で、私も苦戦しました。最終的には第一東京弁護士会の公設事務所である、渋谷シビック法律事務所に勤めることになりました。

その所長がいい人で、「大胡田君、なぜ私たちが君を採用したかわかるかい。あなたがいることによって、スタッフやお客さんにもいい影響があると、経営者として判断したからです」と言って頂けました。

– いい影響とは何だったのでしょうか。

目の見えない私が頑張ることで、「自分も頑張らなければ」と励みになるし、相談に来られる方々にとっても、私だからこそ感じられる心の痛みがあるのではないか、ということでした。

まるでアクション映画? 施設収容者の奪還作戦

– 大胡田先生の弁護士としての注力分野は、どのようなものになるでしょうか。

基本的には、いわゆる「町弁」として、離婚や相続、交通事故や労働問題、いろいろと取り組んでいますが、他の弁護士に比べれば、障がい者の法律問題を多く扱っているだろうと思います。

– やはり、障がいを持つ人々にとっては、法律相談をしやすい存在でいらっしゃるのでしょうね。

そうですね。ただでさえ、弁護士って敷居が高いと思われているわけですから、障がい者にとっては、その高さが果てしなく感じられるわけです。まず、弁護士がどこに居るのかを調べるのが大変で、相談するところまでなかなか行き着かない場合があります。

そんな中で、目が見えない弁護士がいるのなら相談してみようかなと思ってもらえるようです。私自身、全国各地の講演会などに積極的に出て話すようにしていますし、いわば「駆け込み寺」のような存在になれれば嬉しく思います。

– 今までのキャリアの中で、いろんな意味で印象に残っている事件はありますか。

家族が面倒を見切れなくなった障がい者を収容しておく施設というのが、関東近郊にありまして、病院でもなければ福祉施設でもないような場所なんですが、窓には鉄格子が入っていて、フェンスには鉄条網が張り巡らされているんです

– 収容されているのは障がい者だけなんですか。

不良少年なんかも一緒に閉じ込められていたみたいですね。そして、ある障がい者が脱走したんです。歯医者に行くために外に連れ出されたすきに逃げて、まわりまわって、私たちに相談が入りました。
自分の意思に反して不法に監禁されたので、施設を訴えたいのだと。相手も真っ向から争ってきて、なかなか大変な裁判ではありました。最終的には和解となって、一定の賠償の支払いは受けることができましたが、まだ終わっていません。

– 確かに終わってないですね。

そうです。まだ、たくさんの人が意思に反して収容されているので、この人たちを何とかしなければなりません。そこで、和解の条件として、収容されている人たちに1人につき3回まで面接させてくださいとお願いしました。

その面接を経て、2人がどうしても施設を出たいと希望していることがわかりました。そして、3回目の面接の日に、施設にワンボックスカーで乗り付けまして、2人を奪還するという計画を立てたんです。