誰もが、法律家の知人を3人作れる社会を。 / セクハラ解決の重鎮・山田秀雄弁護士


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テレビ番組などで一般人にも分かりやすい法的なコメントを行う弁護士の先駆け的な存在。さらに、セクハラ問題やDV問題といった男女間のトラブルにも、早い段階から多数関わって法的解決に尽力してこられた山田秀雄弁護士山田・尾﨑法律事務所代表)にお話を伺った。

好きな野球を思うようにさせてもらえなかった少年時代

– 赤坂に事務所を構えていらっしゃいますが、もともと、この赤坂のお生まれなのですね。当時はまた違った光景だったのでしょうね。

今でこそ、コンクリートとアスファルトで覆われてますが、昔、このあたりの道も、土の道でしたね。
赤坂は一ツ木通りという有名な通りがありますが、お祭りの縁日もあって、鯛飯とか、他の地域とは少し違った高級なものも売られていました。当然、当時は買えないわけで、縁日の鯛飯をジッと見ながら「美味しそうだなあ」と思っていて、そのときの様子は脳裏に焼き付いていますね。

– 何をするのが好きなお子さんでしたか。

青山学院の初等部から高等部(小学校から高校)まで通っていて、大学進学までは受験がなかったもので、スポーツをやったり、読書をしたりと、のびのび過ごしてました。
小学校のときは、野球に夢中になっていました。長嶋茂雄が、自分にとっては「神」だったんです。

– 王ではなく、長嶋派だったと。

そう。守備位置は、必ずサードを希望していましたし、毎日、長嶋の打率を新聞などでチェックして、ナイターでヒットを打つのを見ると機嫌が良くなったりして。自分自身も練習を重ねるごとにだんだん上手くなっていって、足の速さにも自信があったし、将来はプロ野球選手になるぞと心に決めてましたしね。
でも、両親の勧めで柔道を習うことになって、いったん野球から離れてですね。背が高かったので、大会でも勝っていたのですが、本当は野球をやりたかった。

– なかなか思い通りにはいかないものですね。

決して野球を禁じられたわけではないけれども、親は柔道などのほうをわたしに勧めたわけです。
うちの両親は贅沢なんてさせてくれなかったけれど、本は好きなものを好きなだけ買ってくれました。図書館でも年間で最も本を借りた子どもとして表彰されたこともありますし、『海底2万マイル』や『怪盗ルパン』全集、『シャーロック・ホームズ』全集などにのめりこんで読みふけっていました。
ただ、そうしているうちに、外へ出て遊ばず、本を読んでばかりの子どもとなっていって、さすがに親も心配したんじゃないですかね。

柔道では身体づくりなどで役に立ちましたし、食べ物の好き嫌いも改善されて、今では親に感謝してますがね。柔道の先生には可愛がってもらえましたし、司法試験受験生の頃に2段まで取得し、自信も付きました。人付き合いのやり方や礼儀作法も養われたと思います。

もともとは作家志望だった

山田 秀雄 弁護士

– 大学は、慶應義塾大学の法学部へ進まれてますね。

小学校のころから青山学院にいたので、そろそろ別の世界も見てみたかったという思いもありました。他の生徒たちのように青山学院大学へ進学することはできましたが、学校では他大学を受験するための教育をやってくれなかったんですね。


ということで予備校に通って、そこで、「勉強ってこんなに面白いのか」と気づいて、驚いたんです。

– 受験勉強の面白さを、予備校でお知りになったんですね。

青山学院の授業がつまらないってわけではなかったんですが、小田実っているでしょ、作家で。今でも忘れられないほど面白い講義をしてくれた講師が、当時の予備校には何人もいて。現代国語では石丸久とかね。

– 小田実さんって、予備校講師だったんですね。

そう。また、予備校に通っている連中も、東京大学に行きたいとか、政治家になりたいなどと語るタイプの人が多かったです。実家の跡継ぎになる人が少なくない青山学院の同級生とは、かなり考え方の違う人々が集まっていて、刺激を受けましたね。

予備校で勉強した結果、無事に法学部には入れましたが、心の根底のところでは、文学や演劇にずっと傾倒し続けていました。大学に入って友人と一緒に同人誌づくりを続けていましたし、映画もたくさん観ていました。当時は三島由紀夫や石原慎太郎への憧れが強かったですが、ただ、私と同世代で村上龍が芥川賞を受賞したりして、悔しいけれどこういうものを超える作品を書ける気がしなかったわけです。

見込みが薄い世界で生きていくよりも、やはり法学部で培った実学の道へ進もうと。弁護士は漠然と「かっこいい職業」で「自由業」だと認識していたので、目指してみようと思いました。当時は「作家になれないんだったら、弁護士だ」という甘い認識だったので、司法試験には苦労しました。