「事故」と名が付く法律問題は、ほとんど経験しています。 / 佐々木 龍太 弁護士


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難病を克服した経験が、今に生きる

戸田 哲 弁護士

– 鉄道は、ずっとお好きだったんですか。

子どもの頃から好きでしたね。やっぱり、男の子ですから。

– 男の子はたいてい、動くものが気になりますよね。

広島出身なのですが、保育園が山陽本線のすぐそばにありまして、毎日同じ時間に特急列車が通過するので、それをずっと見ていたんです。

– 小学校に入るころに、都内へ引っ越しとなったわけですね。

東京には少しだけいて、千葉県の野田市でしばらく過ごしていました。醤油のキッコーマンで有名な。

– 小学校の頃は、何をするのが好きでしたか。

どちらかというと、部屋でじっと本を読んでいることが多かったです。それと、ピアノを弾いていました。当時はお稽古事という感じでしたけれども、徐々に個人指導になっていきました。

中学高校時代は、都内の私立一貫校、開成学園で過ごしました。この6年間が、人生で一番懐かしい思い出一杯の時代です。この学校は、特に運動会が盛んなことで有名で、私は運動は大の苦手だったのですが、裏方スタッフとして、写真やビデオの撮影や映画制作などにいそしみました。この学校の同窓生のつながりは実に強力で、社会に出てから、今でも、大変貴重な人脈となっています。

– 大学時代は、あまり法律になじめなかったそうですね。

はい、東京大学の文科一類から法学部へと進みましたが、大勢まとめての講義だったので、興味が持てませんでした。今思うと、もう少し熱心に聴講しておきたかったと後悔していますけれども。
また、大学在学中には原因不明の難病にかかりまして、炎症性腸疾患のひとつで「クローン病」と呼ぶのですが、一般企業への就職活動をしても健康診断の段階で落とされるという……。バブル景気の頃だったんですが。

– 学生の売り手市場の時代に、就職させてくれないというのは、ショックですね。

そこから数年間は、進学塾の講師などをしながらの療養生活となりました。司法試験を受けていても、択一は受かるんですが、その次の論文試験で体力が続かなくて棄権した年もありました。

内科的治療を続けても、どうしても治らなかったので、思い切って外科的治療に踏み切りました。すると、今までの苦しみが嘘のように治ったんですね。司法試験にもその翌年に合格しました。

– それはよかったですね!

この頃の経験があったからこそ、医療分野に強い関心がありますし、重い病気や障害を持つ方々に、強い共感の気持ちを抱くことができています。

– 裁判官や検察官になろうという気持ちにはならなかったですか。

「裁判官も、やり甲斐がありそうかな」と思った時期もあったのですが、司法修習時代にじっくりと見極めて、「弁護士でいこう」と決めました。

– ピアノは今も続けてらっしゃるんですね。

はい、今でも先生について、じつはかなり高度な演奏法を教わっています。バッハとベートーヴェンをこよなく愛して弾いています。

– それは演奏会で誰かに見せる予定がおありなのですか。それとも、ご自身で高い壁を乗り越えたいという意識なのでしょうか。

はい、今でも先生について、じつはかなり高度な演奏法を教わっています。バッハとベートーヴェンをこよなく愛して弾いています。

戸田 哲 弁護士

– 嫌がらず積極的におやりになることは、他にもありますか。

他人の話を聞くことは、全然嫌がりません。「30分経ったので、相談を打ち切ります」なんてことは一度も言ったことがなくて、1時間でも2時間でもじっくり話に向き合うところがあります。

– 本当に忙しいと、途中で相談を打ち切る弁護士さん、いますからね。中には25分とかで。

次の相談者が待っていますから、と弁護士から言われると、皆さんつい呑み込んで、泣き寝入りしてしまいがちですが、少なくとも私は、(次の相談などの予定が入っていない限りは)、途中で打ち切ることをしません。あまりにも長くて遅い時間帯になってしまったら、改めて時間を取ることもありますが。


最後に肖像写真を撮らせていただくことをお願いすると、「どうせなら」ということで、六法全書だけでなく、医学的な事件のファイルまで机に広げてくださって、撮影に応じてくださった。
「凝り性」を自負する佐々木弁護士、その仕事ぶりの一端を垣間見た思いがした。

成子坂上佐々木法律事務所

佐々木 龍太 弁護士
成子坂上佐々木法律事務所

第二東京弁護士会
〜2016年 高江・阿部法律事務所
2016年 成子坂上佐々木法律事務所 設立

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