知財、渉外、国際仲裁でクオリティの高いリーガルサービスを / 松下 外 弁護士


このエントリーをはてなブックマークに追加

松下 外 弁護士は、東京生まれで、幼少期をニューヨーク、中学高校時代をカナダのトロントで過した帰国子女。トロント現地の学校を卒業後、東京工業大学工学部情報工学科に進学し、人工知能(機械学習)の研究に従事。東京大学法科大学院(未修者コース)、司法修習を経た後に、2010年北浜法律事務所に入所。4年間の執務の後は、シンガポール最大級のAllen & Gledhill 法律事務所に出向し、国際仲裁チームで、訴訟や国際仲裁の経験を1年間積んだ。その後ニューヨーク大学ロースクールで国際争訟・国際仲裁専門のLLMを修了し、ニューヨークのHughes, Hubbard & Reed法律事務所での研修を経て、2017年1月より弁護士法人イノベンティアに参画。若いながらも多彩なバックグラウンドを活かし、知財および国際仲裁の最前線で活躍する松下外弁護士のお話しを伺った。

自身のアイデンティティを考えたカナダでの生活

– 海外での生活が長いのですね。

父の仕事の関係で、1歳から5歳までをニューヨークで過しました。その後、日本に戻りましたが、父の転勤に伴い、日本で言えば、中学2年生から高校卒業までをカナダのトロントで過しました。直近3年では、シンガポールに1年、ニューヨークにも約1年半住んでいましたので、人生の約3分の1を海外で過ごしていることになりますね。

– 海外で生活する上で、英語の問題はなかったのですか。

中学・高校時代は大分苦労しましたね。ニューヨーク時代の記憶はほとんどありませんでしたので、最初の1年間はただ、ひたすらに先生が黒板に書いたことを書き写すという状況でした。数年経って漸くコミュニケーションに問題がないレベルにはなりました。

– 外国では差別はありませんでしたか。

個人的には特に感じなかったですね。そもそも、カナダは移民の国でアジア系の生徒もたくさんいましたし。

– 日本の大学に進学されていますが、外国の大学は考えなかったのですか。

勿論考えました。ただ、思春期を5年過ごしたといえども、自分のアイデンティティは日本にあると思いましたので、一度戻ったほうがよいと考えていました。私の通っていた現地のセカンダリー・スクールには、日本人学生は私と私の家族しかいなかったのですが、そうすると、あたかも、日本代表のように取り扱われて、日本の歴史や文化について友人から質問を受けることも珍しくありませんでした。読書は好きでしたので、歴史小説等も読んでいたことから、ある程度は答えることができましたが、言葉に詰まる場面も皆無ではなく、自分は日本のことを良く知らないな、と思うことも少なくありませんでした。

当時、将来的な活動のフィールドは日本でも、それ以外の国のどちらでもよいとは思っていましたが、とりあえず、大学は日本に戻って勉強して、日本の社会というものはどういうものか、ということを身を以って体験したいと考えていました。

人工知能の研究に勤んだ東工大時代

松下 外 弁護士

– それで、東工大に進まれたのですね。なぜ理系の大学に?

今もおそらくだと思うのですが、当時は、高校レベルであれば、日本の理系教育の水準はカナダと比較してかなり高かったと思います。そうすると、英語ができなくても、数学や物理はかなりできるので、一目置かれるんですね。そのため、理系科目は好きでした(笑)また、理系に進むか文系に進むかを考えたときに、文系の勉強は最悪自分でもできなくはないが、理系の勉強は自分一人では難しいだろうとも考えていました。

– 情報工学科を選ばれたのは何故ですか。

トロントの現地校では、プログラミングの授業をとっていたこともあり、元々コンピュータには興味がありました。また、当時は、これからはコンピュータの時代が来る、と言われていましたので、コンピュータを専門的に学んでおけば、どのような道に進むとしても、つぶしが利くだろうなとも思っていました。

– 東工大では何を研究されていたのですか。

人工知能(機械学習)の研究をしていました。ざっくりというと、どうやって機械にモノを教えるか、ということです。現在は、Alpha Go等で用いられている深層学習(ディープラーニング)が人気ですが、私が学生をしていた当時は、そこまで着目されていた手法ではなく、私は、数理的統計的なアプローチを用いて、どのようにして、データの中から特徴的な要素を抽出することができるか、ということを研究していました。

情報工学部で最先端の研究から法科大学院へ

– 東工大卒業と同時に東大の法科大学院へ進学されたんですね。

人工知能の研究自体は、非常に面白かったですね。ただ、理系の研究室は、学生レベルでは、アルゴリズムを組んで、プログラミングをして、計算機を回して実験データをチェックして…の繰り返しで、研究室に篭りがちとなる傾向にありましたので、将来的には、もう少し、社会と接点を持つ方向で仕事をしていきたいと、漠然と思っていました。

そうしたところ、当時は、ちょうど法科大学院制度の黎明期でしたので、理系出身者を含む、法学以外のバックグランドを持った法曹の需要が盛んに説かれていましたし、また、職務発明に関する青色発光ダイオード訴訟が、メディアで大々的に報道されていました。こういう報道に接していると、法曹の仕事もやりがいがあって面白そうだな、と思い法科大学院に進学しようと考えました。今でこそ色々と問題が指摘されている法科大学院制度ですが、この制度がなければ弁護士になろうと決意しなかったと思いますので、そういう意味では感謝しています。

– 理系から文系への180度の方向転換ですね。勉強は大変ではなかったのですか。

東大の法科大学院に入学するまでは、法律書を一度も開いたことがない完全な未修者でしたので、非常に苦労しました。民法の最初の授業で、教授が債務不履行と不法行為の違いは何か、ということを説明されたのですが、そもそも、債務不履行と不法行為という概念があること自体、そこで初めて知った、というような状況でしたので、全く授業についていけず「これはえらいところに来てしまった」と思いました(笑)