司法が冷たくあしらう「環境裁判」に、熱い魂で挑む。 / 島 昭宏 弁護士

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東京メトロ・築地駅前のビルに、法律事務所らしくない、ひときわ目立つ看板を掲げる法律事務所がある。今回は、アーライツ法律事務所代表の島 昭宏 先生にお話を伺った。

40代で法律家に転身し、勝訴率が低くて収入にもならない環境問題訴訟に果敢にチャレンジしつつも、10代の頃から続けているロックミュージシャンとしての活動も精力的に行う、その旺盛なエネルギーを存分に感じるインタビューとなった。

東京にさえ出られれば、大学はどこでもよかった

– 環境問題に関心をお持ちになった原点は、どこにあったのでしょうか。

中学1年のころに、有吉佐和子の『複合汚染』という本を読んだのがきっかけです。当時はベストセラーになったのですが、でも、子どもの頃から自然環境には関心がありました。

– 名古屋のご出身ですね。自然いっぱいの場所で遊んだりするのがお好きだったのでしょうか。

いえ、ひどい工業地帯だったんですよ。1962年生まれなので、高度経済成長期のピークの頃です。

– どういう感じだったのですか。大気汚染などを実感する機会があったのでしょうか。

それが、あまり無かったんですよね。そこで生まれ育てば、それが当然になってしまって、たくさん立っている煙突から煙が出てきているのを見ても、それを悪いものだという意識がなかったんです。

うちの近くの住民で、ぜんそくの症状などが出ていたようなので、かなりの大気汚染が起きていたのは間違いないんですが、当時はどちらかというと、発展の証ですよね。

– それが、一冊の本を読んだことで意識が変わったわけですね。いつもの景色が違うふうに見えてきたのでしょうか。

そうですね。子どもなりに「このままではいけないのだろう。いつかは限界が来る」と思いました。そして、環境保護を一生の仕事、テーマにしていきたいと考えるようになったんです。

– 音楽に目覚められたのは、中学校に上がってからですか。

中学の頃は、友達とフォークギターを弾いていたぐらいですが、高校の頃にロックバンドを組んで、そこから本格的に音楽活動を始めました。

– 文化祭のときに体育館で発表するようなイメージがありますが。

それもやっていましたし、学校の外でも、地元の区役所のホールを借りてライブをしたりもしていました。

– 本気だったんですね。当時からプロになるおつもりだったんですか。

ええ、音楽で飯を食うつもりでいたので、東京に出てきて新しくバンドを組んで、ミュージシャンとして売れたら、すぐに大学を辞めるつもりだったんですよ。

– えっ、東京でミュージシャンになるために、早稲田の政経に入ったんですか。

そうそう、東京にさえ出られれば、大学は別にどこでもよかったんですよ(笑)
早稲田ラグビーのファンだったこともあり、早稲田に対する憧れみたいなものはあったんで、合格した時はうれしかったですけど。
でも、売れないまま大学を5年かかって卒業して、41歳まではひたすらバンド活動にのめり込んでいました。

「これから、まだ長い」 41歳の決意

– では、大学卒業後も、ずっと音楽活動を続けていらっしゃったんですね。

はい、1985年から今に至るまで活動を続けているパンク・バンドthe JUMPSのボーカリストとして、たくさんのCDをリリースして全国をツアーで回ったりしたほか、若いバンドのためにレーベルを作って、プロデュースをしたり、ロックファッションのブランドを立ち上げたり、また、“JUST A BEAT SHOW”という自主イベントは、1982年から2002年までの20年間で300回開催しました。1995年には、そのイベントの仲間と「BEAT SHOW CLUB BAND」名義で、ポニーキャニオンからCDを出したりもしました。

これは宣伝用のウチワなんだけど、戦後50年で「不戦決議」を出すか出さないかで、国会が揉めて、なかなか決まらなかったんで、「じゃあ、俺たちが出してやろう」ってことで、国会前で裸になったんです。

島 昭宏 弁護士

– (笑)すさまじい写真ですね。

それで、これはブルーハーツの甲本ヒロト、これはドリアン助川、これがぼくで、これがレピッシュのMAGUMI……。

– えっ、とんでもないメンバーですね。

とにかく、仲のいい連中が集まってバンドを作ったんです。ただ、ヒロトは事情があって「ダヴィンチ・ピロピロ」って名前で出てます(笑)

– なるほど。そういった日々の生活から、「弁護士になろう」と決意されたきっかけをお聞かせくださいますか。

41歳の誕生日の話なんだけど、朝、目が覚めて布団の中で、「今日で41歳か、バンドを始めて25年だな」と、そういうことを考えていたんです。

このまま、バンド生活を続けていってもよかったんだけど、25年って長いですよね。

– はい、四半世紀ですね。

ただ、考えてみれば「これから、まだ25年はあるんだろうな、元気でやっていける時間が、まだ25年ある」と考えたときに、「長いな」と思ったんですね。

– 長いなと思ったんですか。

そりゃ、相当楽しいなと思って(笑) こんな生活、もう一回りもできるのかと。

だけど、もともと音楽は自分にとって、社会変革のために始めたわけですよ。16歳のときに、ジョン・レノンやパンク・ロックのザ・クラッシュを聴いて影響を受けたのがきっかけなんです。

ただ、音楽は楽しいんだけど、自分ぐらいの力じゃ社会はビクともしない。だとしたら、社会を変えるために、音楽活動を一時的にストップしてでも、何か違うことをやるもう一つの人生を模索することを、本気で考えてみようと思ったんです。

– なるほど、それで弁護士なんですか。

政治も頭をよぎったんだけど、政治家って、何かをするためっていうより、政治家で居続けるために、8割ぐらいのエネルギーを使わなきゃいけないんじゃないかって思ったりとか。

– 確かにありえますね(笑)

その頃に、新聞で「司法試験の科目に環境法が加わる」という記事を見かけて、それまで、法律なんて全然興味が無かったし、それまで「無法はすれども、非道はせず」という精神でやってきたんだけど。

– ロックの精神ですね。

それでいろいろ調べていくと、環境を壊すような公共事業も、法律の力で止めることができると知って、「法律家って、意外といいかもな」と思い始めたんです。

デモ行進とか、みんなで集まって音楽をやるのもいいけど、法律家なら、ど真ん中へ切り込んでいけるわけですからね。かなり面白いなと。

司法修習地でのバンド活動

島 昭宏 弁護士

– でも、久しぶりの受験勉強ですね。

そう、脳みそなんて全然使ってなくて、でも、かえって使い減らししてなくてよかったかな(笑)

– 温存しておいたわけですね(笑)

野球で野手から転向したピッチャーのことを「彼は肩を使い減らししてない」なんて言うじゃないですか。

– そして試験に合格されて、司法修習は、どちらですか。

高知ですね。修習はとにかく「自然がいっぱいの楽しいところに行こう」がテーマだったので、第1希望が沖縄、2番が長崎で、高知は第5希望でした。でも、高知でよかったですね。

– 高知で何があったんですか。

「高知で、いいバンドがいたら教えて」なんて、ロックバーとかで話を聞いてみると、「いや、ロックシーンは盛り下がってるんですよ」と、みんな口々に言うわけです。

それで、「だったら、自分たちで盛り上げればいいじゃない」「俺がやろうか」とか話しているうちに、「ライブをやっても客が来ない大人のバンド」と、「上手くはないけど皆でワイワイやってる高校生バンド」を組み合わせて、お互いに刺激し合うようなイベントを思いついたんです。

自分たちは、ドラムができる修習生と、地元の女子高生たちに声をかけて「JK Laws」っていうバンドを組んだんです。

– それは楽しそうですね(笑)

それで、ライブをするたびにお客さんはどんどん増えていった。10か月の修習期間で、新聞に4回取り上げられて、ライブを11回やって、最後はお客さんパンパンでした。

– 別れが惜しいですね。

だから、今でも年に3回は高知へ行って、ライブをやってるんですよ。

環境訴訟、独特の難しさ

島 昭宏 弁護士

– 今までで印象に残っている案件はありますか。

まずは八ッ場ダムの住民訴訟ですね。最終的には最高裁で負けてしまったけれども、ロースクール生のときから傍聴を続け、卒業後すぐに弁護団に入れてもらい、とにかく法律家としての自分を育ててくれた裁判でした。すごい先輩弁護士ともたくさん知り合えましたし、一生の宝になる経験でした。

多目的ダムは「治水(洪水時の被害回避)」と「利水(飲料水の確保)」の目的があって造られるんですが、八ッ場ダムに関してはどちらの目的も達成できない。そんなものを住民の税金を使って造るんじゃない、という訴えです。

– 受験生でも入れるものなんですね。

弁護士になったら本当に加入するという前提で関わらせてもらって、駆け引きややりとりなどを実際に間近で体感してましたし、その後実際に弁護団に加わって書面を書いたりしました。

ぼくの場合は、歳が歳なので、徐々に成長していくんじゃなくて、弁護士になった時点でトップギアに入れていかなきゃいけないという意識があったんですね。

– 八ッ場ダム訴訟で、島先生の弁護士としてのキャリアが始まって、他には印象に残っている事件はありますか。

いわゆる「シロクマ訴訟」です。全国の電力会社10社と、電力の卸会社である電源開発(J-POWER)を相手取って、二酸化炭素の排出削減を求める訴えです。裁判は最高裁まで進みましたが、負けてしまいました。

– 二酸化炭素…… 地球温暖化の問題でしょうか。

そうなんですが、環境訴訟というのは難しいんですよ。

– どういった難しさがあるんですか。

裁判所の対応も、かなり冷淡でして、八ッ場ダム訴訟も含めて悔しい思いをしましたし、今後に活かせる反省点や材料もありました。

その上で現在、ぼくが代表となって進めているのが、原発メーカー訴訟です。

– 言い方が難しいですが、原発事故の場合は、住まいの移転を強いられるなど、具体的な被害が生じていますので、また難しさが異なるのでしょうか。

ええ、福島の原発事故で避難させられている被災者の代理人として、東京電力への賠償請求もやっています。それとは別に、原発メーカーに対する訴訟を起こしています。

– どのように違うのですか。

電力会社と違って、原発メーカーというのは、原発事故でどれだけ被害が拡大しても、免責になるんですよ。責任を取らなくていいわけ。原子力損害賠償法にそう書いてあるんです。

– えっ、じゃあ、PL法の例外みたいなことですか。

そうそう、まず電力会社は原発事故について、過失があっても無くても責任を負うことになっています。これを責任集中制度といいます。

それで、電力会社は保険に入ってるんだけど、その補償の上限は1200億円です。今回の原発事故の被害額は10兆円を超えてるんですよ。足りないぶんは原賠法によって、国が負担することになっています。

でも、こうした保険金の出所は電気料金だし、国の負担の出所は税金なんです。だから結局、無限責任を負わされているのは国民なんですよ。

地球規模のチャレンジ

島 昭宏 弁護士

– そういうお話だと、電力会社は実質的な有限責任になっていますし、法律の規定と実態が違いますね。

ええ、これだけの被害を出しておきながら、電力会社は倒産を免れている。それどころか、被害弁償の問題で、原発メーカーは名前すら出てきません。福島第一原発は、1号機から4号機まで、全部メーカーが違うんですよ。

– そうなんですか?

そんなことすら、国民は知らされてないわけで、原発メーカーは賠償責任どころか、世論からの非難の対象にすらなりません。

– この原子力損害賠償法をつくるとき、自分たちに有利になるよう、原発メーカーが政治に要求したんですかね。ロビー活動のようなことでしょうか。

日本で初めて原発を造るときは、アメリカから技術を輸入して、GE(ゼネラル・エレクトリック)が建造したんですが、その最終段階になって、「ところで、俺たちが免責になる法律、制定してある?」「それをつくんないと、燃料を提供しないよ」って、日本側に要求したんです。

– アメリカからの要求だったんですね。日本の原発メーカーは、棚ぼた的に免責になったんでしょうか。

でも、日本メーカーが原発を海外に輸出するときには、同様の法律をその国につくらせるわけです。原発メーカーは世界中で、責任集中制度によって守られる、これが常識になっています。

– 世界中でですか。そういう条約でもあるんですか?

あるんです。パリ条約、ウィーン条約、CSCという3つの条約があって、どれかの条約に批准しないと、原発技術は輸入できないんです。

免責にならないと原発なんて造らないよ、と。そんなに危険なものなら造らなくて結構って話ですが。

この制度を打ち壊すために、裁判を始めたんです。世界中の原発メーカーを相手にしているようなもので、実際に世界中から原告を約4200人集めまして、ひとり100円の請求額で、責任集中制度は憲法違反で無効だという裁判を起こしているんです。

– すごいですね。世界規模に広がっているんですね。

島 昭宏 弁護士

ここでは新しい人権「原子力の恐怖から免れる権利」を主張していて、これを「ノー・ニュークス権(NO NUKES RIGHTS)」と呼ぶことにしました。憲法の前文には「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」と書いてあり、これと13条の幸福追求権と25条の社会的生存権を根拠としています。

島 昭宏 弁護士

たとえば、プライバシー権なんて憲法の条文には書いてないけれども、今では当たり前になっています。同じようなことが起きればいいなと思ってるんですね。



島キクジロウとして「ROCK’N’ LAWYER宣言」というノー・ニュークス権を広める曲もつくってます。そのCDには、ヒロトやMAGUMIにも参加してもらっているし、事務所の外の看板にはロゴも入れてあるから、写真を撮っていってほしいんだけど。

島 昭宏 弁護士

– わかりました。こうした環境訴訟も含めて、これから弁護士として、どのような形で活動して行かれますか。

こじんまりとまとまらない活動をしていきたいですね。
環境問題の裁判って、弁護士にとってはお金にならないんですよ。たとえ勝訴して、原発の稼働が止められたとしても、どこからもお金が出てこない。

ただ、それでも、弁護士として他の案件でしっかり稼いだ上で、環境問題にじっくりと取り組みを継続することはできるので、「そういうスタイルも面白そうだな」と思って環境問題に取り組む若い弁護士たちを、どんどん育てていきたいと思っています。

この事務所に入るのも、環境問題に取り組む弁護士であることが最低条件です。


環境問題に限らず、世界規模でスケールの大きな取り組みに対して、ときに世間の反応は冷淡である。「役に立たない自己満足だ」とか「地に足が着いていない」と非難されることもある。

島先生ら、環境系弁護士が提起する裁判は、傍から見れば、ただの無謀な戦いのようにも思える。しかし、常識をひっくり返して社会を変えられるのは、見込みの薄いチャレンジを決して諦めずに継続できる人物だけなのであって、それはいつの時代も変わらない真理である。

アーライツ法律事務所

島 昭宏 弁護士
アーライツ法律事務所

2010年〜2012年 弁護士登録(東京弁護士会)萩原健二法律事務所勤務 2012年 アーライツ法律事務所開設

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