少年事件と生まれ故郷に、法律家人生を賭ける / 松田 和哲弁護士


このエントリーをはてなブックマークに追加

弁護士登録から2年で独立

松田 和哲 弁護士

– 松田先生のご出身も、この四街道なんですよね。

はい、生まれ育ったのも、この事務所のすぐそばで、今も両親が住んでいます。

– 弁護士になろうと思われたきっかけは、何だったのですか。

最初は検事になろうと思っていたのです。テレビのニュースなどで特捜部が捜索などに入る様子が報じられるのを見ていて、世の中に対する影響力もあって「かっこいいな」と思いました。

– 検事志望から、「弁護士になろう」と思われたのは、どのあたりのタイミングですか。

法修習で、検察庁で被疑者の取調べを担当したときに、「これじゃダメだ、自分は検察官に向いてない」と思ったんです。ウソを付いているかもしれない相手を追及して、本当のことを言わせて、不正を暴いて、すみませんと謝らせるなんて、とても自分にはできないと。

どちらかというと、にっこり笑ってコミュニケーションしたいんです。
かつては検察に憧れていたのも確かですが、性格的にどうも向いていないと自覚しましたし、検察の担当教官にもそう言われて、かといって裁判官という選択肢は自分の中で無かったので、じゃあ弁護士になるかと。

当初は、消極的な選択だったのかもしれません。

司法修習が終わり、松戸の瑞慶山(ずけやま)総合法律事務所でお世話になった後、2年で独立しました。

– 2年で独立は、だいぶ早いんじゃないですか。

そうですね。私の同期はわりと早い段階でどんどん独立しているんですが、その中でも早いほうだと思います。

– 前にお勤めだった、瑞慶山総合法律事務所は、どのようなところでしたか。

いわば町弁の事務所で、取り扱っている業務自体は、この事務所とほとんど変わらないです。ただ、昔からのお客さんから新規の案件の紹介があったり、積極的な広告宣伝なども相まって、扱っている事件数が多くて忙しい事務所でした。

瑞慶山先生は沖縄出身の方で、沖縄に支所も置いているので、沖縄出張にも行かせてもらえて、その点では楽しかったです(笑)

– そんな中でも独立を考えていらっしゃったのですね。

ええ、忙しくてじっくりと仕事に向き合えなかったもので、日々の業務に追われるうちに、独立の可能性が頭をよぎったんですね。どこで独立するかは明確に決めてなかったのですが、故郷の四街道市内に法律事務所がないという事実を、どこかでたまたま知ったんです。

古くからのお客さんのつながりで、自宅兼法律事務所のような形で経営なさっている弁護士なら、従来からいらしたのですが、その事務所も無くなっていたようなのです。

決して小さい街ではないので、近くに法律事務所がなくて不便に思っている方も大勢いるはずだと思いました。

忘れられない少年事件

– 何か、今までで忘れられない、印象に残っている案件はありますか。

私が司法修習時代に、一番興味を持ったのは、家裁修習、少年審判だったんです。法でドライに裁く判決と違い、法律家が少年と一緒に寄り添っている印象を受けて、人間味を感じたんです。

弁護士になって2カ月ぐらいで、私が初めて担当した少年事件なんですが、13歳の男子がわざと学校の窓ガラスを割ったという触法少年の事件です。14歳未満ですので、児童相談所で非行少年として扱われて、ひどい場合は家庭裁判所に送られて処分を受けるという流れです。

千葉県弁護士会の「子どもの権利委員会」で、この事件を担当する弁護士を募集していたので、何も考えずに手を挙げたんです。今思えば、この少年は家庭内で虐待などを受けていて、生育環境がよくない事情があったので、少年事件の素人が手を出すべき事件ではなかったんです。

最終的には、埼玉県の児童自立支援施設に入ることになりました。ただ、その現実を13歳の子はなかなか受け止めきれないわけです。ずっと泣いているわけです。

その様子を私はただ観ているだけで、何も言えない。ただ、無力感を覚えていました。
私は最初、「家に帰れる」と彼に話していたんです。でも、帰れないことになった。そりゃ、泣きますよね。変に期待を持たせてしまったんです。

– 今だったら、どのようにしますか。

そうですね。児童相談所や学校ともしっかりと話し合い、施設に行かなくても済むような働きかけを行ったり、ご家族にも事前に連絡を取って受け入れ態勢を整えておきます。

あるいは、児童自立支援施設へ行くという結果がどうしても動かないようだったら、その事実を本人が受け入れられるよう、繰り返しじっくりと話をするとか、いろいろと方法はあったと思います。

– 他に思い出に残っている事件はありますか。

少年が起こした傷害事件で、被害者との間の示談がうまくいかず、裁判になったというケースがありました。加害者も被害者も16~17歳の同年代で、顔を合わせないようにすればいいと思い、加害者について、被害者の生活圏である特定のエリアへの接近を禁止にする和解をしたのです。

その接近禁止に強制力はありませんし、接近禁止エリアには、大型のショッピングモールなども含まれていたので、被害者側のご家族は、加害少年が本当にそこへ立ち入らずに生活できるのかどうか心配していたようです。しかし、少年自身、その和解案を受容するのに積極的だったというのが大きかったと思います。

相手方の代理人弁護士も、犯罪被害の問題に詳しい方でしたし、こんなにスムーズにうまくまとまるのかと思うぐらいでした。

– 松田先生ご自身で、和解がうまくまとまるよう工夫なさった点はありますか。

お互いに希望を出し合ったり、ここは変えてほしいと要求したり、積極的に条件を擦り合わせていきました。

事前に依頼者から希望を聞き取るのですが、それをそのまま相手に伝えるのは弁護士の仕事ではなく、誰にでもできることです。その希望を伝えたときに、相手側がどのように反応するか、どのように受け取るかを予想して、「このような形で伝えましょう」と提案できなければなりません。

判決をもらう場合は、とにかく証拠を出して、勝てば喜んで、負ければ裁判官のことを悪く言えばいいんですが(笑) 和解の場合は柔軟性が必要です。お互いに譲歩し合わなければなりません。

譲れるところと譲れないところをお互いに明確にし、自分が譲るところと相手が譲るところを受け入れられるかどうか、お互いに衝突するときは次に何を譲るか、じっくり検討しなければなりません。なかなかまとまらないことが多いので、難しさを感じる場面も多いです。

– ご本人が譲りたくないと言っても、客観的には譲るべき場面もあるわけですよね。

そうですね。そこはご本人を説得し、納得していただかなければなりません。どんな和解案で決着させようとしても、そこに当事者の納得がない限りは、台無しになってしまいます。「話が違う」との反発を生んでしまい、弁護士も信用できない、相手方も裁判所も信用できないという流れになってしまいますので。

– そういった接見禁止の和解案というものは、よくあるのですか。

あくまで紳士規定のようなもので、法的拘束力は無いのですが、性犯罪などでは、そのような取り決めが和解でなされることもあります。