自らの苦い過去を照らし合わせ、依存症問題にも積極的に取り組む。 / 宮内 裕 弁護士


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JR博多駅の筑紫口から徒歩で数分の場所に、決して順風満帆とはいえない人生の中で、数々の壁を乗り越えてきて、多くの相談者から信頼を集めている弁護士がいる。
もちろん、順風満帆でスクスクと育ってきた弁護士にも、法律相談ができないわけではない。だが、相談者の心境に寄り添う共感力とアドバイスの説得力には、自らの過去の経験にも裏づけられた強固でしなやかな背骨が通っているといえる。

今回は、宮内法律事務所宮内 裕先生にお話を伺った。

酒屋の長男が、酒に溺れた過去

– このたびは、インタビュー取材に応じてくださいまして、ありがとうございます。

弁護士ジャパンのサイトを拝見しまして、本当に率直な声も書き込まれていますよね。それでも、相談者や依頼者の方々からによる生の声というのは、大切だと思います。

– 弁護士を目指されたきっかけについて、教えていただけますか。

話せば長くなるんですが。

– お願いします。

もともと、実家が酒屋をしておりまして、弟や妹がいたのですが、私が長男として店の跡を継ぐことを前提に、えらい厳しく育てられたんですよ。子どもの頃から一日に5~6時間働いて、給料はカップアイス1個みたいな。時給にしたら数円ですね(笑)

– それは、法的にギリギリのお話ですね(笑)

それ以外にもいろいろとありまして、とにかく家から離れたいという一心で、京都大学を受けることにしたんです。それで京都にいる間に、いつの間にか弟が酒屋を継ぐことになっていたんですね。

– 酒屋の英才教育を受けていない弟さんが継いだんですか?

遠くにいる長男よりも、近くにいる次男のほうが実質的な立場が強かったようですね。ですから、酒屋以外の道を模索しなければならず、既に大学3年で、周囲から少々出遅れる形で就職活動を始めました。

でも、ずっと自営業をする意識でいたので、会社員になることにも違和感があり、福岡県庁を受験して、3回目でようやく受かったんです。

事務所のホームページにも書きましたが、この頃は、実家から離れた開放感も手伝って、酒に溺れていまして、できるだけ就職活動をせずに職に就きたい、さらに老後の親の面倒も見ることができたほうがいいので、福岡には戻ろうと考えた結果でした。

公務員から弁護士へ転身 きっかけは実家のトラブル

– 県庁にお勤めのときに、簿記、FPといった資格を取っていらっしゃるのですね。

この当時は、県税事務所の仕事をしたいと思っていたんです。大学の先輩が京都府庁で府税の仕事をしていて、滞納している人が隠している財産をどうやって見つけ、そこから払ってもらうのか、というスキームを考えるのが面白いと聞いていたので、当時は興味がありました。

そして、その方向へ進むためには会計の基本などを知っておいたほうがいいと思って、簿記やFPを取得したわけです。ずっと希望を出していたんですが、一向に県税に携われる気配はなく(笑)そのまま退職することになりました。

– お金の計算は、お得意なんですか。

けっこう好きですね。FPも取得しているので、家計などに関連する法律相談もお受けできます。

– 県庁での公務員生活には、馴染めたほうだと思われますか。

そうですね。ずっと馴染めず、違和感を抱えていました。1万人ぐらいいる大きな組織の中にいるわけですから、私が継ぐつもりだった家族経営の酒屋の感覚とはだいぶ違います。

転機になったのは、2003年に福岡で起きた水害です。大雨の影響で、川が氾濫し、その流れでブロック塀が隣のスーパーマーケットへ倒れて、壁を破損させてしまったんです。それでトラブルになりまして、だけど、私は曲がりなりにも法学部を出ているのに、実家のために何の役にも立てない。

弁護士には依頼したんですが、両親にとってはモヤモヤが残る解決になったんですね。

それと、妻方のお父さんが事故で生死の境をさまよって、結果、一命は取り留めたのですが、そういうふうに一瞬で人の運命が変わるのを目の当たりにして「人生は一度きりだから、後悔がないように生きなきゃいけない」と、改めて思い知ったわけです。それが、公務員から弁護士に転身しようと思ったきっかけですね。